志望大学を自分で決めてよかった
10月になりますと、受験生のみなさんはそろそろ真剣に進路決定をする時期ですね。
で、なんと30年ほど前にもなるはなしですが…
高校3年生のわたしも自分の行きたい大学を決めました。結果、その第一志望の大学に進学できたのですが、その選択がいまになっても、本当によかった、と思えます。
当時の自分に「その選択、なかなかよかったよ!」と言ってあげたい気持ちで書いてみたいと思います。
入学して楽しい大学生活を送りたかった
今の子ほど、将来について真剣に考えることもなく(最近の子は情報が多いせいか、本当にみんなキチンと考えていて、ちょっとかわいそうに思ったりもします)、もっと気楽に進路を決めていた子が多かったような時代。
わたしも、ごく平凡に、理系は苦手だから当然のように文系に進み、外国語や文学に興味もないので、社会系の学部に決めました。
大学で何かを勉強したい、という気は特になく、社会に出る前の準備期間として、いろんな友達作ったり、部活をやったり、バイトしたり、4年間で視野を広げて充実させたい、というだけでした。何より優先したのは、実際に入学してから楽しめるかどうか、でした。
第一志望として決めたのは、当時、バイタリティーがある学生が多い、というのがウリの大学。共学だけど、男子が多くてラクそう、と感じたのと、所在地が、学生生活を送るのにとても雰囲気が良かったところも魅力でした。
一般受験ではちょっと無理そうだったけど、現代国語と英語だけ、という科目数の激すくない推薦入試でなんとかすべりこもう、という考えでした。
お母さんは女子大希望
女子が集まったときの雰囲気が好きではなく、女子大は絶対に嫌でした。
ところがお母さんはなぜか、勝手に女子大のパンフレットをひそかに集めていて。それらを見つけたときは、ちょっとびっくりしました。
お母さんは、女子大に行くことがなんだかステータスだと思っていたらしいです。女子大を出て、わりといいとこに腰掛的に就職して、いい相手を見つけてめでたく華やかに結婚、というのを夢見ていたようです。だいぶ昭和です(ちなみに受験したころは平成)。
わたしは絶対女子大はいやだ、と言ってたのに、お母さんの希望だったみたいです。
第一志望のその大学は、偏差値が高いというほどではないけれど、そんなに低い、というほどでもなく、ごく平凡な成績だったわたしに、お母さんとしては「受かるもんなら受かってみなさい」という感じ。
そして、大学では絶対に自由な一人暮らしがしたかった。帰る時間を気にすることなく、なんだかんだ注意されることなく、自炊でも洗濯でもなんでもするから、とにかくひとりで自由にしたかったのです。大学生は、下宿費用を出してもらって、それが堂々でできる身分なのです。もう、家から通う大学生活なんてありえへん、と思っていました。
第一志望のその大学は、実家からは絶対に通えない距離なので(微妙に通学に2時間弱とかなら通わされる)そこも、大きな魅力でした。
他の教科の偏差値は30代にまで下げながら、ひたすら現国と英語だけを勉強し(落ちたら間違いなく浪人)、合格通知が来たときの感激は忘れられません。いままでのなかでうれしかったことベスト3に入る快挙です。
思いを通して結果を出し、見返すことができて快感
お母さんも、高校の先生も「まあ無理だろう」と思っていたようなので、「合格しました!」といったときは、びっくりされました。
合格したうれしさはとっても大きく、それをもう少し細かく分けると
・本当に行きたかったところに行けることがうれしい
・無理だろう、と言われていたことを達成でき、そう言っていた人たちを見返すことができてうれしい
・自分が頑張って、思い通りの結果を出せたことがうれしい
といったところでしょうか。
頑張っても結果がでないことも、大人になるといろいろあります。
が、自分にとっては、この経験はひとつ、自信になったことは間違いなく。女子大に自宅通学を志望しながら、結局は合格を喜び、行かせてくれた親に感謝です。いろいろと勉強になり、とっても楽しい4年間でした。
大学は相当なお金がかかるから、何かと厳しいこともありますが、こどもたちにも、自分の行きたいところは自分で決めて、行ってもらいたいと思う、今日この頃です。
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