先行研究の集め方

マクロな視点とミクロな視点

論文とは、それまでの研究の蓄積を一歩進めるものでなくてはいけない。

私は指導教官にかつてそう言われました。
さて、「一つの研究、論文」はマクロな捉え方とミクロな捉え方をする必要があります。

まず分かりやすいのは後者です。
ミクロな捉え方は、「その論文自体が(先行研究と比して)何を言ってるのか」という直接内容自体を捉える方法です。

一方で、マクロな捉え方は、「その論文は研究の蓄積のなかでどこに位置付けられるのか。」です。


山で遭難して生き延びないといけないとします。
自分の居場所の周りには何があるのか、とそもそも自分の居場所はどこかが両方分からないと助からないでしょう。

両方の視点が必要です…が、特にマクロな視点で自分の研究を見るのは、はっきり言いますが、

学部生レベルでは大半が無理!
です。
大学院生になってみないと自分の研究の立ち位置なんて分からないので、焦って高い目標は設定しなくてもいいと思います。

というかそもそも学部生がそんなに簡単にできてたら、大学の紀要や雑誌には毎年溢れかえるぐらいの研究が出てきてしまいますし、題材は簡単に枯渇してしまうでしょう。
ところがそれをできる学部生がいないから、日本中の大学で玉石混淆な卒論が毎年生まれては、なかったかのように消えていくのです。
(恐らく、長く同じ大学にいる教授は学部生の卒論を読んで、○○年前の△△さんもこんなの書いてたなと思うことはあるのでしょうが、そんなこといちいちしないでしょう。所詮は大半過去の遺物だから)


先行研究を探してみよう

ミクロとマクロの話をした上で、先行研究の探しかたについて。

仮テーマが決まったら、参考文献をあつめなければいけません。じゃあ最初に何に目を通すべきでしょうか。

一般的には歴史学では、講座もの(例『岩波講座日本歴史』)は最新の研究成果が反映されているので、まずは目を通すべきだと言われます。(これは村上紀夫さんの『歴史学で卒業論文を書くために』にも書いてあります。)

https://www.iwanami.co.jp/book/b371735.html

しかし、その場合には注意しなければいけないこともあります。


①現在の研究成果がわかるからといって、これからできることがわかるとは限らない。

究極的には研究の蓄積に寄与する(現在の研究ではこういうことが言われているが、一方でこんな課題もある、だから本稿でこのような検証を行いたい。)というゴールが必要だとされるので、こういう目線で問題意識が必要とされます。

しかし、講座物で十分に言及されてないことは、
・史料はあるのに研究が進んでいない
なのか、
・そもそも史料がないから研究のしようがない
・研究はあるが特定地方などの瑣末なのテーマなのでいちいち触れていない
なのかを判断するのは非常に難しいです。

「悪魔の証明(消極的事実の証明)」という言葉があります。

悪魔の証明とは、「《この世には悪魔など存在しない》と主張するのなら、それを証明してみせろ」と迫ることである。要するに、「証明が到底不可能な事柄」のこと、および、そのような証明不可能な事柄について「証明しろ」と迫る態度や言動のことである。 
                    出典:『実用日本語表現辞典』

「ある」ことは証明できても、「ない」ことは証明できないんです。
歴史でいえば、史料に文字が残っていればあることになりますが、残っていないことをただちにないとは言えないのです。

よく研究史の到達段階を知るために同じく引き合いに出される『史学雑誌』「回顧と展望」も同様で、回顧と違って展望は抽象的になりがちです。

http://www.shigakukai.or.jp/journal/index/vol130-2021/#back_05

これからどんな史料で何ができるかを具体的に提示できるほど執筆者も全知全能ではありません。

(ちなみに裏話を申しますと、執筆者も著名な先生方のみでなく修士クラスの大学院生も加わっています。私はしたことありませんが…)

今後の展望が分かった時、そこから問題提起することは、おそらく自然科学や社会科学などであれば可能かもしれません。その展望に基づいて新たな実験や調査を行えば新たな法則や事実に気づく可能性はあるからです。

しかし歴史学はじめとする人文科学では展望に基づく資料を新たに作り出すことはできませんし、見つけ出した資料と展望がマッチングすることは保証されていないのです。

②講座ものは究極のマクロ視点

そもそも講座ものは執筆者が、ある期間に刊行された他の様々な著書・編書を比較参照して内容が構成されています。一方で、参照した著書・編書ももっといえばすでに出された雑誌論文を元に書かれています。それぞれの雑誌論文をミクロだとすれば講座ものはマクロです。

一つの論文から始めて注を辿り、大局的は視点がまで行き着く方がはるかに楽で整理しやすいし、道に迷うリスクは減ると思います。

ちなみに私は講座ものを否定してる訳ではありません。講座ものを起点とした問題提起は難しいというだけで、講座ものを読んで漠然と最新の動向を掴んでおくのは必要だと思います。
ただし、全部読めということはありません。
およそ講座ものはテーマ別(政治史・外交史・経済史・文化史)などに分かれているので、自分のやりたいテーマについて一通り読んで、そこに出てきた先行研究をリストアップするぐらいでいいでしょう。
(たまに、やたら「全巻揃えなよ」と言う院生がいたり、揃えて悦に浸るだけの意識高い系学生がいたりしますがそこまではやらなくてもいいと思います。)

全部読む必要はないので、先行研究と使う候補史料をある程度リストアップした状態で指導教官のもとへいく準備をしておきましょう。

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