思うこと、感じること、迷うこと

こんばんは。Sylvieです。

早いもので、8月も終わりを迎えようとしています。自分は四月以降の更新が出来ていませんでしたが、その間には彼女と別れたり、所属していた大きな組織をやめたり(要は医学部部活なわけですが)と、さまざまなことがありました。
そのいずれも一生忘れないものでしょうし、またその是非も一生わからないのだと思います。自分の迷いや選択というものは往々にしてどちらの方がよかったのかわからないものです。なんせ、二者択一で切り捨てた方の人生を歩むことはできないわけですから。恋人を傷つけたこと、なにかを途中でやめてしまったこと、それらは必ずしも良い選択とも言えないし、悪い選択とも言えないわけです。

少し話はそれますが、あいみょんの歌詞に
「切り捨てた何かで いまがあるなら
もう一度だなんてわがまま 言わないでおくけどな
それでもどこかで 今も追い求めているものがある」
という歌詞がありますね。この曲はとてもいい曲なのでぜひ聞いてみてほしいです。
現にnoteを書こう、必死に社会に対して、そして自分に対して言葉を紡ごうという意思を持っている若者は少ないわけで、またこのようにくよくよと自分の選択たちへの正当性を吐き捨てているのもまた珍しいのではないでしょうか。

医学部医学科はとても同調圧力が強いということはよく知られている話です。しかし、自分の大学同期はそんな中でcommonな医学部生らしい活動をしつつ、すごく人生が輝いているように見えます。自分はといえば、いろいろなことでくよくよ考えすぎたり、、、、

しかし、そんな自分にも成長したなという部分があります。それは、
「自分軸の人生を生きることができるようになった」
ということです。もちろん、自己中心的に生きるということではなく、他人への感謝を忘れずに、我関せずというような価値観を得ることができたということです。Sylvieは変わり者だよね、人間関係ドライそう笑などといわれたことは今まで何回あったでしょうか。
自分は何かに入れ込むタイプというよりかは、様々なことを両立する方が得意なわけで、そういったところが割り切っているという印象を与えてしまっているのかもしれません。

別に「自分、他人に興味ねえし」みたいな中二病的なことを言いたいわけでは決してなく、ただ単に自分の時間の可処分を考察し、無駄に他人と自分を比較することをせず、自分の過去と比べることに重きを置いた人生を歩めているなと思うのです。実際に、様々なことを取捨選択した中でできたこと、新しく始めることができたことも多く存在します。

そんな一つ一つの積み重ねが、自分という人間を作るのだろうなと思うとともに、心の信頼を得るために必要なことはやはり自分に素直に生きていくということなのだろうなと思います。友達と旅行するのも、飲みに行くのも楽しい。自分の時間も欲しい。元カノのような、自分の人生に新しい価値観をもたらしてくれる人とも出会ってみたい。

そんなこんなで悩みながら、自分の人生を勝ち得ていくことは、最高にかっこいいと思うし、周りに流されてなあなあで生きていくよりかは、最後にベットに臥すときに生きていてよかったなあと感じることができるのではないかなとも思うのです。将来の自分へ、高校同期が就活を本格化させて徐々に人生を固めつつある中、自分は今こんなことを考えていますよ。

くじけないで、周りに感謝しつつ、精一杯今に向き合っていきたいと考えています。

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