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片腕だけで料理はできるのか

たくさん買い物して、たくさん料理して、たくさん食べるのが好きなJPTアンバサダーちひろです。

JPT第2回ミッション研修で「午前の3時間を片腕or両腕が使えない状態で過ごしてみたらどうなるか」というワークショップを行いました。

私、この3時間にちょっとした料理もしてみました。

料理はかなり厳しいと想像はしていましたが、
「どこまでならやれるのか」という興味がむくむくと湧き上がり、夫が朝飯前の仕事をしている間にいざ!

↓モーニングルーティンと料理、2パターンでやってみました。
育児中の人が片腕だけでモーニングルーティンはできるのか
片腕だけで料理はできるのか ※本記事

にんじんケーキを焼く

おやつの時間が大好きです。
ほっとひと息つける、あの時空間。

娘の名前も、おやつを意味する名前にしたほど。

市販のおやつは味が強すぎるのと、添加物アレルギーがあるので、おやつは基本的に手作りしています。

毎日食べるものなので、安くて(これ大事)、健康的で、美味しいものがよいです。

そんな我が家で常備しているおやつのひとつ、にんじんケーキ。

これなら、大した手間もかからんし、片手でもいけるはず。
いつもトースター入れるまで5分くらいやし。

まず、にんじんの皮をむきます。

無理でした。
片手ではむけなかったので、皮のままいきます。
ヘタだけなんとか切り落とし、あとはフードプロセッサーに入れるので、切るのは適当です。

そして、卵を2つ割り入れます。

案の定、カラが入りましたが、致し方ありません。

そして、その他もろもろ入れて、フードプロセッサーの蓋を押してGO!
いつも両手で抑えてやるので、片手だと抑えが弱くて液体が散らばりました。

そしてボウルに入れる。

この、最後に微妙に残ったやつをボウルに移し替える手立てが見つからない。
右手でフードプロセッサーを持つと、右手が塞がる。
右手でゴムベラを持つと、右手が塞がる。

結果、可能な限り手ですくいました。

そして生おからを入れるんですが、おからの袋が開けられない。

口で頑張って開けましたが、爪が邪魔で手間取りました。
前回の記事で、突然爪を切るシーンがありましたが、それはこのときに爪を少し割ってしまったからでした。

その後、ボウルから型に移すときも、右手塞がる問題に直面しました。
この時点で30分くらいかかっています。

ふと「なんか静かやな」と思うに至ります。
集中して気づいてなかったんですが、先ほどまでわめいていた娘が、諦めて寝ていました。

赤子の世話をしていると、沈黙が逆に怖いときってありません?

ひとまず娘の生存確認をして、洗い物です。

作るときは「フードプロセッサー神!」と思っていましたが、洗うときは「フードプロセッサー鬼!」と思いました。
全体的に、なんとなくゆすいで終わりました。

米を炊く

次に、米を炊きます。

私は玄米、夫は分づき米なので、我が家は2台の炊飯器がフル稼働です。娘用の軟飯を炊くタイミングが難しい。

さあ、米を研ぎます。

すごく説明しづらいのですが、すごくやりにくいです。
手を回すとザルも動くので、ちゃんと研げません。

そして、水を替えないとアカンのに、手に米がついて、水を張ったボウルにザルを戻すのも一苦労。

そして、なぜかこのタイミングで排水溝ネットが詰まる。

こんなにストレスフルな炊飯工程は生まれてはじめてでした。

片腕シリーズ前編の、「0歳児を育児中の私が実際にモーニングルーティンをやってみたらどうなるか」という記事も併せてご覧ください。

育児中の人が片腕だけでモーニングルーティンはできるのか

おわりに

モーニングルーティン、赤子のお世話、料理。
片腕がないとできないことが、いろいろと想定と違っていた3時間でした。

この3時間、左腕から意識を遠ざけると、なんだか左腕がほんとうにしびれてきて、血流が滞ったような感じになりました。
同時に、自分のメンタルもだんだんと削られていくのがわかりました。

「娘の抱っこしんどいから、自分もベビーサークルの中にいよう」
「ああ娘、髪を引っ張らないでおくれ。結べないんだよ」
「朝ごはん足りなかったけど、準備も食べるのも面倒やからあとにしよう」
「このまま左腕が使えなかったら、料理もヨガもできへん人生になるんか…」
「抱っこ紐も無理やな。散歩はあとにしよう」
「あと20分で終わるから、もう何もしないでおこう」

正直、片腕があればもっといろいろできると思っていました。
両腕がなかったら、たとえ積極的にはなにもしなくても、3時間も過ごせなかったように思います。

腕が使えない人たちが、日常の不便や肉体的障壁を感じずに暮らせる世界って、どんなふうなんだろう。

たとえば料理ひとつ取っても、完全にバリアがフリーになることなんて、可能なんだろうか。

答えはたぶん、「両腕がある人と同じように料理ができる」というところにはないような気がする。
どれだけ便利な道具があっても、やっぱりできないことは残る。

じゃあ、その人が料理を楽しむために何があればいいか?

私は「他人の存在」なんじゃないかと思います。
下ごしらえが済んだ材料を買ってくるのもいいかもしれない。

「これは自分が料理したんだ。少なくとも自分が関わった料理だ」
本人がそう感じられるよう、誰かが隣でちょっとサポートしてくれる。

それが一番、料理における「バリアフリー」に近い姿なのかもしれないなあ、と感じた時間でした。

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