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ミッション研修を通じて感じたこと、考えたこと ~第3回ミッション研修開催報告~

先月7月27日(水)に、第3回となるJPTのミッション研修を開催しました!

今回は当日の内容を振り返るとともに、これまでのミッション研修を通して私なりに感じたこと、考えたことについてまとめてみたいと思います。

(執筆:ミッションパートナー あきこ)

第3回ミッション研修「わたしにとっての『日本』」

今回は「在日問題」を切り口に、「わたしにとっての『日本』」というテーマで在日朝鮮・韓国人3世である朴さんをお迎えしました。

・在日について知る(背景・構造・歴史)
・個人の生活を知る(朴さんが感じた壁、その時の気持ち)

についてお話を聞くとともに、参加者みんなで「『ちがい』から偏見が産まれるのはなぜなのか?」を考えるワークショップを行いました。

朴 基浩(ぱく きほ)さん

兵庫県出身の在日朝鮮・韓国人。朝鮮学校から大阪の中高一貫校に進学後、高校を中退し単身アメリカへ留学。大学卒業ののち、通信制・定時制高校の支援を行うNPOの創業・共同代表を務める。現在はNPOのコンサル、映画製作、イベントやミュージシャンのマネジメントなど多方面で活動。

私自身も、そしてほとんどの社員も、聞いたことはあるけれど詳しくは知らないこのテーマ。

最初に背景や構造を解説していただいたあと、朴さん自身が幼少期から感じた様々な「ちがい」や、社会の中に潜む差別や偏見についてお聞きしました。

友人と一緒に行ったバイトの面接に朴さんだけが落ちたり、賃貸契約の審査になかなか通らなかったりと、「そんなことあるの!?」というエピソードには驚きの連続。

こうした経験を通して朴さんの中に生まれた「なぜ同じ人間なのに憎しみあうのか?」という問いには、今の世界の状況にも通じるものを感じました。

私が特に印象的だったのは
・人間は、社会が自分を必要としていないと思うと病んでくる
・「分からないから教えて」と入れるだけで全然ちがう

というふたつの言葉。

「働く」ということは、もちろん生活の糧を得るためのものでもありますが、社会とつながり、自分に自信を持って生きるための手段でもあるということ。

そして、自分と相手との「ちがい」を怖がらず、まず相手を知ろうとすることの大切さを感じました。

社会の中にある色々な「生きづらさ」を考える

3回の研修を通じて私が考えたかったのは、社会の中にある「生きづらさ」の正体ってなんだろう?ということ。

私は小さい子供を持ちながら働いているのですが、時折「自分はいい母親じゃないんじゃないか」「社員としても中途半端で、いつも誰かに助けてもらわないと組織に存在できないんじゃないか」と息苦しさを感じることがあります(疲れてネガティブ思考になっているとも言う)。

JPTは障害者を雇用している特例子会社ですが、障害はもちろん、それ以外にも、実はこの社会にはもっと私の知らない生きづらさ、働きづらさというのがあるんじゃないか。

それを知ることが、JPTのミッションである「全ての人が対等に働ける社会の実現」のヒントになるんじゃないか、と思いました。

第1回の「見た目問題について考える」では、障害ではない(※)生きづらさについて。
※障害者手帳を持っている方もいる

第2回の「パラアスリートと考える障害・スポーツ・仕事」では、先天性/後天性による障害への意識の違いや、競技や仕事への思いについて。

今回は、同じアジア人で、見た目では「ちがい」も分からないし、障害もない。
なのになぜ、生きづらさを感じるのか?について。

ワークショップの中で、朴さんが「『ちがい』に『自分にとってのあたりまえ』が加わると差別や偏見になるのではないか」と仰っていました。

以前、副社長の阿渡さんが言っていた「自分にとっては手(両上肢)がないのが当たり前だった」という言葉。

自分にとってのあたりまえも、相手にとっては「じゃないかもしれない」と思う、その心の余白を持つことが「誰もが安心して暮らし、イキイキと働ける社会」につながるのではないかと改めて感じました。

終わりに~研修を通じて

世の中の多くの人が、程度の差はあれども様々な制約や事情を持っていて、それは目に見えることもあれば、見えないこともある。

自分たちが感じる「生きづらさ」(=働きづらさ)を解消していくことは、もしかしたら他の誰かの生きやすさ・働きやすさにも繋がるかもしれない。
3回の研修を通じて、そんなふうに思いました。

朴さん、そして参加者の皆さん、ありがとうございました。


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