オランダの歴史(2)ネーデルランデン連邦共和国(オランダ共和国)の独立
こんにちは!自由主義研究所の藤丸です😊
今回は「オランダの歴史」の2回目(全4回予定)です。
1回目はこちらを読んでくださいね😊 ↓
復習ですが、当時の地図はこれ ↓
重要人物はこの2人です。↓
1,オランイェ公の挙兵~オランダ独立戦争の起点
1567年、新執政アルバ公は、騒乱の責任者を処罰するために「騒乱裁判評議会」を設置します。
これは後に「血の評議会」と呼ばれました😱💦
これにより一方的に有罪判決を受けたオランイェ公は、他の低地諸州の貴族とともに武力闘争を決意し、1568年に挙兵します。
初戦は反乱側である低地諸州側は敗北します。
その一部は亡命し海上生活をおくり、「海乞食党」(ワーテルヘーゼン)を結成します。
これが、「八十年戦争」(オランダ独立戦争)の開始🔥です。
「新税導入計画」(特に「10分の1税」)、聖画像破壊に関わった者への慣例無視の「厳罰主義」、スペイン軍兵士の優遇政策などにより、
執政アルバ公に対する低地住民の批判と怨嗟が高まっていました。
1572年、海乞食党の活躍もあり、ホラント州の一港市がまぐれ(💦)で反乱側の手中に落ちると、順次、周辺諸都市も商業を守るために反乱側に加勢します。
これは、のちのオランダ共和国建国の第一歩となりました。
その後、海乞食党は解散しますが、
「乞食党(ヘーゼン)」はスペイン政府に反抗する人々の総称となります。
ホラント州議会が開催され、オランイェ公を同州の「合法的な」州総督と認めました。
本来なら「君主または州総督」にしか招集されないはずの州議会が、自発的に参集し決議を行ったことは、革命的なできごとだったといえます。
低地の北部都市への反乱の拡大を、執政アルバ公は軍事力で鎮圧しようとしました。
反乱側のオランダ人は「宣伝戦」で圧倒的に勝っており、アルバ公に対抗します。
アルバ公とその後任が急死すると、しばらく執政色は空席となり、スペイン軍の統制が失われていきます。
反乱の中心だった2州(ホラントとゼーラント)は、他の従順な諸州と、
「スペイン軍の低地諸州からの駆逐」を目的にした「ヘントの和平」を結び協力します。
新執政となったドン・ファン(フェリペ2世の弟)の要請により、フェリペ2世はスペイン軍を低地諸州を急襲させました。
低地諸州の南東部の都市は、スペイン軍に市門を開きます💦
オランイェ公は、北部の諸州の防衛同盟を強化しようと「ユトレヒト同盟」を結びました。
この同盟の規約は、カルヴァン派色が強かったのでオランイェ公は難色を示しましたが、最終的には受け入れます。
この同盟規約は、諸州の相互関係を定めた唯一の文書となったため、のちにオランダ国家の「基本法」とみなされることになります。
2,オランイェ公暗殺と国王廃位布告
フェリペ2世は、低地諸州の反乱の首謀者をオランイェ公と断定し、
オランイェ公の暗殺命令💦を出します。
1581年オランイェ公は、北部反乱側の代表が集まる全国議会で「フェリペ2世に対する国王廃位布告」を決議しました。
1584年、オランイェ公が暗殺されます😱
オランイェ公は、フェリペ2世を信奉するカトリック教徒の暗殺者から3発の銃弾を浴びせられ、「神よ、わが魂と愚か者たちにお慈悲を」との言葉を残して倒れたと伝えられているそうです。
フェリペ2世を低地諸州の王位から廃位したことで「君主」が空位となったため、北部反乱諸州は、フランスの王弟アンジュー公やフランス王アンリ3世に依頼しました、うまくいきませんでした。
北部反乱諸州は外国君主に頼るのをやめ、独力で難局を乗り切ろうと決意し、真の独立への一歩を踏み出しました。
3,オランダ共和国として独立を勝ち取る
北部諸州にとって、執政アルバ公の南部からの進撃は最大の脅威でしたが、
スペインがイングランドと「アルマダの戦い」を始めたことで、
北部諸州は巻き返しました。
※このあたりは、以下の「イギリスの歴史」も御覧ください😊
北部反乱諸州は、軍事だけでなく外交でも奮闘しました。
1596年にフランス・イングランドと「三国同盟」を結びます。
これはヨーロッパ主要2カ国から初めて対等に扱われたことを意味しました。
1609年には、スペインと「十二年休戦」条約を結びます。
これは、スペインが北部諸州の連邦国家を独立国として承認したことを意味しました。
北部反乱諸州(ホラントなど7州)は、
ネーデルランデン連邦共和国(オランダ共和国)として、
ここで実質的に独立を勝ち取ったのです✨
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
やっと、オランダ独立‼
でもまだ戦争は続きます。
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