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若い先生方へ(18)

 いつもお読みいただきありがとうございます。今回は教師の技「授業」の
最終編です。どうぞお読みください。
18 間合い
 漫才の間合い、落語の話しの間を倣いたい。先輩の間合いを盗む。
 50分の授業が長く感じられるか、あっという間に終わった感がするかは、授業者の話しぶりや間によると思います。単調な話し方、説明が長い授業は
子どもにとって退屈なものであるばかりか、本時のねらいも押さえることができません。そこで私が学んだのは漫才や落語です。大阪漫才は「ボケ」と「ツッコミ」の間が短く、言葉尻をとっての展開が早いようです。東京漫才はそれに比すると「ことば」の脈絡を大切にするようにも見えます。私は学生時代を大阪で過ごしましたので、二人集まると漫才になる大阪のほうが肌に馴染んでいます。落語も話術の間において学ぶべきものが多いものです。
19 教室に持っていくもの
 手ぶらで教室に向かうべからず。子どもに一点輝くお土産を用意せよ。持っていく教師自身がうれしくなるものを用意せよ。お土産は価値づけて授業で使うと子どもはいつまでも忘れない。
 導入で用いる「もの」は本物を準備したいものです。とかく教師は「行ったことがないところを行ったように話す」のがうまいですが、社会科を教えていた若いころは、図画や写真のために図鑑や編集本を買いそろえました。今ではインターネットで簡単に手に入るのでいいですね。ネットからカラー印刷すると、教頭に怒られますか。教育はお金がかかるのです。本物がいるのですと返答するとよいですよ。
20 教室への入り方
 「教室へは右足から入る。」とある建築業の方のことば。ほとんどの学校の教室は南向き、廊下からみて黒板は右側にある。担任が前のドアを開け、右足から入る意味がわかれば免許皆伝。
 これは昔、指導主事をしていたときに、事務所の所長から言われたことです。しばらく意味が分からなかったのですが、ようやく意味が分かってきました。言いたいことは、教室に入る瞬間から子どもの様子を目に入れなさいということでしょう。左足から入ると黒板が見え、子どもは後回しというのでしょう。含蓄がある一言でした。
21 教科、道徳と学活
 教科は専門性、道徳は教育者としての価値観を問われる人間性、学活はリーダー性と仲間作り。どれも担任として指導できるようにしたい。
 道徳でテスト勉強をさせたり、集会行事ばかりしている学級はないでしょう。道徳ではすべての内容項目を押さえ、子どもの課題に沿った内容項目に重点を置きたいものです。学活も教室の掲示物ばかり作らせていてはいけません。話し合いなど、子どもたちの活動をとおして所属感や自主性を身につけさせたいものです。学活の授業で、自習をさせて抽出して面接指導をすることも、進路に関する指導といえば合致していますが、あまり感心しません。
22 天性を育てる 
 個々の天性を見抜くのが授業。教師はその眼力が試されている。子どもに第二の天性を与えよ。教師は口でなく背中で、汗で教えて子どもの眼の裏に自の姿を焼きつけるべし。
 インストラクターと教師の違いを考えると、より広範な人格陶冶や人間作りまで立ち入るのが教師の仕事だと認識しています。子どもも、1年間先生の学級にいると、他の学級の子どもと違うものが芽生えてくるのです。だから、やっぱり担任が一番なのです。
23 答えは全て子どもの中にある 
 毎日の授業で迷ったら子どもの顔を浮かべればよい。子どもに聞けばよい。子どもは教師を素直に写してくれる。答えは子どもの中に明確に存在している。
 日産の社長であったカルロスゴーン氏は、「答えはすべて会社の中にある」と言って、大いなるⅤ字回復をしました。その後のことには言及しませんが、、。子どもの目を見れば答えは書いてあると私も強く確信して学級経営や学校経営を行ってきました。
 いつも長々ですみません。ご感想やご批正は、どうかメッセージでお届けください。それではお時間となりました。73

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