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介護職中退生①動かせる左手で

介護職員初任者研修でのおむつ交換の実技実習は、お人形さんで行う。

軽々持ち上げられるし、実際排泄物はない。おままごとのようなものだ。はっきり言って誰でもできる。
既にデイサービス、ショートステイで働いていた私は、「これじゃできるようになったとは言えない!」と内心モヤモヤした。

私が勤務していた施設(2022年1月末で退職、1年1か月しかいなかったので卒業ではなく中退とする)のデイサービスとショートステイを利用していた要介護5の70代男性、サトシさん(仮名)は立位はおろか座位もとれない。右麻痺で左手は動かせるといえば動かせはするのだが、取っ手つきのお椀に入れた汁物を飲む動作もぎこちなく、食事介助をすることが常だった。

初任者研修の資格を得ても、急に介護技術がアップするわけではない。デイサービスの職員として採用され、途中からショートステイの早番だけをヘルプのつもりでやっていたが、デイよりもショートの方でシフト的に必要とされる日々が増えていった。サトシさんは週の平日の半分ほどをショートで過ごし、土曜はデイサービス、というパターンが多く、デイだけで勤務していた時よりも自然と支援をする機会が増えて行った。

正直なところ、最初はサトシさんの介護をすることがなかなかに憂うつだった。

185cmはあろうかという長身で、がっしりとした体躯。158cmでそんなに力もない私。車椅子からベッドへの移乗、その逆。決してひとりでの介助は行わず、誰彼構わず人を呼び、安全に配慮して必ず二人で行った。サトシさんと同じくらいの体格であったり、小さくても力のある男性職員は、ひとりで難なくサトシさんをひょいと移乗させてしまう。今までやってきた書店や他の仕事だと、「ひとりでできるようにならなくては」というようなことも、介護の現場ではあてはまらない。ひとりでできないことに罪悪感や負い目を感じる時間があったら、誰でも協力してもらい、安全に進める能力が求められた。

サトシさんの麻痺した右足は、乗せても乗せても車椅子のフットサポートからずり落ちてしまう。
「脚、長いですねぇ~。背も高いし、さぞかしモテたんじゃないですか」
と、いたずらっぽく言うと
「うん」
と、しれっと言われた。案外お茶目な性格で、職員の話を聞きながらくすくす笑っていることもあった。

その日、私はショートステイのサトシさんの居室でおむつを交換していた。自分の中では初任者研修で手順はすっかり頭に入っているはずなのに、なかなか思うようにてきぱきとはできず、モタモタしがちな自分が情けなく悲しかった。思わず大きなため息が出た。

「はあぁ。
いつになったら、もっとてきぱきとできるようになるのかなぁ…。モタモタしちゃって、上手にできなくてごめんなさい」

と言ってサトシさんの顔を見ると、動かせる方の左手を必死に伸ばしてきて私の右手をしっかりと握ってくれた。いつも弱々しい、頼りない左手が、この時はしっかりと私の右手をとらえた。

「え…?なに?
応援してくれてるの?」

サトシさんはベッドの上で、無言で優しく微笑みながら、うん、うん、とうなづいていた。「上手ではないけど、一生懸命やっていることはわかっているよ」と言ってくれた気がした。

サトシさんに悟られないように、そっと目尻の涙を拭った。

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