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【映画雑記】小松左京原作ものでトホホなのは「日本沈没2020」だけじゃねぇぞ、という話。

 NETFLIXで配信されているアニメシリーズ「日本沈没2020」が1本の映画に再編集され劇場公開されるとのこと。件のシリーズ、今年の初めに俺のハートをがっつりカツアゲしていったテレビアニメ「映像研には手を出すな!」湯浅政明監督の作品ということもあり、すごく楽しみにしていた。が、フタを開けたら主人公の主観という前提を頑なに守るあまり、本来パニックものというジャンルに不可欠な詳細なディテールが遠くに置き去りにされ、大変な仕上がりになっていました。おかげで過剰だったかもしれないくらいの拒否反応を示してしまった。監督は劇場公開へのコメントの中で「意図したところまでたどり着けない方も多かった」と話しております。いや、あの物語で、どこの部分をどう指して『意図したところ』とするんですか、と単純に疑問に思いましたが、とはいえ、追加の新録シーンはないそうなので、どこをどう抽出して『意図したところ』とするのか、少し気になってはいます。所詮、俺は「映像研」ではまったニワカなので湯浅作品とそもそも馬が合わない可能性はありますが、それまでの猶予ということで。

 軌道修正。

 もとい、「日本沈没」というテーマは日本のSF界の重鎮、小松左京先生が提示した壮大な思考実験であったわけで、「もしもの世界」といいますか、世界を揺るがす大きな事態が起こったときに人類はどう動くのか、という社会学的な考察でもあった。同じような「もしも」を描いた作品に1985年のベストセラーであり、その2年後に映画化された「首都消失」がある。日本の首都東京が、23区全体を覆う巨大な雲によってその機能を停止してしまう物語だ。小学生の頃、テレビでその映画「首都消失」を見た。子どもながらに変な映画だなぁと思った。

 先日、改めて再見してみた。驚いたことに「変だなぁ」という気持ちにビタ1mmも変動がなかった。久しぶりに観ても変な映画だった…というより、ショボかった。小学生の頃の俺ではない、今の自分の目で見ると、低予算の東宝特撮東映キャスティングが紛れ込んでしまった珍奇な映画という、逆に新鮮な印象を受けました。しかし制作は徳間書店に買われたばかりの大映で、エライ政治家=丹波哲郎、頼りになる学会の重鎮=大滝秀治という70年代ならではのテイストまで盛り込まれているおかげで諸々バグが生じているのも確かです。

 しかし!この映画は1987年の映画です。「スターウォーズ」第1作目から既に10年がたち、「ロボコップ」という新たなSFの地平を切り拓く傑作も生まれている年なんです。それなのに、「ゴジラ対メガロ」あたりの昭和ゴジラシリーズまんまのクオリティを死守する中野昭慶の特殊効果が輪をかけてアナクロ感を増しております。また、せっかく音楽に映画音楽界の巨匠、モーリス・ジャール(ベジャールじゃないよ)を引っ張り出したのにできそこないのキース・エマーソンみたいなシンセ音楽がほんとうにひどい…。これを提出されたプロデューサーは一体どんな気持ちになったのだろうという妙な想像までしてしまいます。

 ひとつ素晴らしい点があります。主演の渡瀬恒彦が大変素敵です。東映でアウトローばかり演じてた頃から晩年に見せた渋味への過渡期と言える時期の仕事でなかなかに魅せてくれます。渡瀬恒彦ファンには必見かもです。

 来年もオリンピック開催が怪しいので、
「首都消失2021」も作ってみたらいかがですか。

…え、「さよならジュピター」
もういいじゃないですか。

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