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人生に悩んでいるんで、そうだ今だということで念願の「知覧」へ行ってきた話。

ついに、ついに、念願の「知覧特攻平和会館」を
訪れることができましたッ!!


正直なところ、小さい子どもと行けるスポットではないので、
今回1人で訪れることができて、ゆっくりと館内を見ることができて
本当に良かったです。

到着してまず、
一式戦闘機「隼」と、特攻勇姿の像が出迎えてくれました。

隼(はやぶさ)


特攻勇姿の像「とこしえに」


語り部の方による講話で教えていただいたのが、

一式戦闘機「隼」は、陸軍。
零式戦闘機「ゼロ戦」は、海軍だそうです。


これは零式戦闘機(ゼロ戦)だから→海軍ですね


沖縄戦での知覧飛行場からの航空特攻作成は、
陸軍によるものだから「隼」が多く使用されたそうです。
右翼に250kg爆弾、左翼には同量の燃料が取り付けられ、軽量化のために翼の機関銃ははずされたのだそうです。
※片道燃料ではありません!!


ついに訪れることが出来ました!

まずは、館内中央部の遺書に圧倒されますッ。


達筆なこと、それとコピーもありましたが、
現物そのものも多く、「遺書」の文字に言葉もでなくなりました。
遺書を見るのは、人生で初めてでした。
なかなか、インパクトがありますね。

語り部の方によると、「母」へ宛てた内容が最も多いそうです。
それはわかる気がしますね。
母はやはり特別な存在なのです。
飛び立つ2時間前の青年たちの笑っている写真に驚きました。
これが覚悟を決めるということなのかもしれないと感じました。
恋人からのマフラーを着けて飛び立つ話や、
妻子あるために特攻を却下され続ける隊員の妻が我が子ともに入水し、
心置きなく活躍してほしいと遺書をその隊員に送った話など、
胸が痛むものも多く、戦争の残酷さ、家族の大切さや、生きるとはなど
深く考えさせられました。

それだけではなく、
残された家族の大変さ、
戦争が終わってからの世間の手のひら返しをしたような冷淡な反応なども
考えさせられました。

会館の外には、三角兵舎の模型が再現されていて、
飛び立つまでの数日を過ごす場所の狭さ・暗さに驚きました。
また、同館内で企画展がなされていて陸軍士官学校の同期生である、
黒木國雄大尉、荒木春雄大尉、桂正大尉の三隊長についてでした。
彼らは知覧基地で偶然再会し、全員特攻隊長として同じ5月11日に出撃したそうです。
ちなみに、私が訪ねたのは、2023年の5月10日でした。
偶然にも、78年前の今日に、
この三人の隊長は今自分がいるこの知覧で、
最後の日を過ごしていたと考えると、
とても考えさせられるものがありました。


自分なら、誰にどんな遺書を書くのだろうか、
覚悟を決められているのだろうか。



たった78年前、
私が生まれるたった32年前に
享年21歳で飛び立つた特攻隊隊長たちがいたのです。

私は、現在休職中で何をどうしていいものかもわからず、
生きている意味を見いだせず人生の迷子になっています。
正直消えて無くなりたいという気持ちがありました。

しかし、この知覧特攻平和会館を訪れ、
そんなことを簡単に思うものではないと感じました。

78年経った現在、気がつけば
ロシアが、ウクライナと戦争をしています。
再び戦争はしてはならない、先人たちの死を無駄にしてはいけない。
そう強く思った旅でした。

人生に悩んだら、知覧に行くのは
とても意味のあることだとしみじみ感じました。

なんしか、カッコいい大人になろう。

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