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やっぱり「勝(か)ち組」よりも「幸(さち)組」だろ。44歳過ぎたら、残りの人生オマケみたいなもんなんだからさ。

「勝ち組」になりたい。

そう、みんな勝ち組にならねばと、
毎日頑張っている。

でもね、

果たして本当に、
人生に「勝ち・負け」っていうのは
あるのだろうか?

勝ち負けっていうのは、
比べる対象があって生まれるもの。

つまり、比較によって勝敗が決まる。

となれば、
上には上がいる。
果てしなく、上がいる。
登っても、登っても
上には上がいる。

結論、完全に勝利しようとすれば
全人類72億人のうちの1位になる必要が出てくる。
その1人になるまで頑張り続ける必要が出てくるじゃないか。

それは、無理ゲーだ。

人は「比較」によって、
幸せになることはできない。

勝った、負けたと一喜一憂したあとも、
勝った者は、勝ち続けることに心血を注ぐ必要が出てくる。
勝者の座を守り続ける必要が出てくるのだ。
一方、
負けた者は、チャンスを伺い一剣を磨き続けなければならなくなる。
そして、敗者復活戦へと目標を定め日々努力をし続ける必要が出てくる。
それぞれが、休息など取っている場合ではなくなる。

となれば、
勝った者も負けた者も「幸せ」には、なれない。

結局、目指しているものは、
幸せなんじゃなくて、
人から羨ましがられたいだけじゃないのか。

羨ましがられることと、
幸せとを、勘違いしているのだ。

羨ましがられたいというのは、
他人の目が基準となっている。

つまり他人軸だ。

他人軸で、自分を満足させることは
できないのだ。

私たちが目指すところは、
「幸せ」ではないのだろうか。

幸せとは、
比較によって「なる」ものではなく、
自ら「気づく」ものではないか。

「手に入れる」ものではなく、
「持っていることに気づき感謝する」ものではないか。

大正時代の私たちの先祖の平均寿命は
44才だったそうだ。

44才を越えたら
いわば、オマケの人生みたいなもんだ。

人生のボーナスステージでは、
人となんか比べていないで、
自分のご機嫌を取るべきじゃないだろうか。

セカセカと、セコセコと、
人となんて比べている場合じゃない。

もう人にどう思われるかなんて、
どうだっていいじゃないか。

そんな時間があるなら、
自分らしく生きればいいんだ。

自分が生きていくのに
もう、人となんて比べる必要なんかない。

目指すところは、
「勝ち組」ではなく、「幸(さち)組」じゃないか。

さあ、「幸(さち)組」を目指そう。
肩の力を抜いて。

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