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パン屋を急にはじめて、急にやめたオヤジの話。

それは、25年以上前の話。

1995年に突如として親父が会社を辞めてきました。
それから、しばらく職を転々として
ある日、パン屋さんの見習いとして働きだしました。

どうやら、一国一城の主として
パン屋さんを目指し出したようです。

そこから数年間パン屋さんの見習いとして
パンの作り方を働きながら学んでいたようです。

年の若い職人ばかりの職場で
色々とくやしい思いをしたようです。

(10代の少年から先輩だから敬語で
話せなどとも言われたようです)

とにかく、パン屋の朝は早い。

身体もつらかっただろうと思います。
それでも、技術を覚えて
早く、独立したかったんだと思います。
少ない休みを利用して、
自分の城となる場所を探していたようです。

そして、ある日
家から車で1時間程度の町に
廃業しようとしているパン屋を
そのまま受け継がないかという誘いを
受けました。

ついに、
オヤジにチャンスが巡ってきました。
なんとか信用金庫に家を担保に
借金をし、店を引き継いだのでした。

そして ついに、オヤジは一国一城の主と
なったのでした。

オヤジは
それから、2週間ほど引継ぎのため
そのパン屋にほぼ住み込みで
無償で働きに行きました。

私が大学4回生の春のことでした。

オヤジに所有権が移った初日に
私と母親で
そのパン屋の手伝いに行きました。

まず、初日の開店30前に
緊張したのか、
機械の設定を間違えたのか


メインの「食パンを失敗した」と
オヤジががっくり肩を落とし
つぶやきました。

それを聞いた私は
それから慌てて、
近所のパン屋を探し
開店と同時に出す分の
「食パン」を買いに行きます。

開店5分前に他店の食パンを
買って帰ってきました。
オヤジの店の袋に慌てて入れ替え
なんとか、開店に間に合わせました。

なので、初日に開店で売っていた食パンは
近所の他店の食パンです。 偽装です笑

その後も、
てんやわんやの初日でした。

次の日、
早朝店に到着すると店の前に、
パンパンに膨らんだゴミ袋が
ゴミ収集車に
持って帰ってもらえず
置かれていました。

本来は、
パンの素である生地をどうしても捨てる際は
オーブンで加熱して、
イースト菌を殺して発酵を止めてから
処分しなければならなかったのですが

なんと、それを忘れて
ゴミ袋に捨ててしまったようです。
初日に張りきって作りすぎです 笑
しかも疲れすぎです 笑

だから、イースト菌の発酵が止まらず、
ゴミ袋がパンパンに膨らんでしたのでした。

気味悪がった、ごみ収集車は、回収を拒否したのでした。

2日目は、
ゴミ袋の中のパンの生地のイースト菌の処理からはじまりました。

もう、2日目もてんやわんやであったとしか
記憶がありません。

もうそれからは、
毎日わけがわりません。

大学に行く日以外は、
ずっとパン屋の手伝い。
もちろん無給です。

でも、パンは 食べ放題です 笑

さすがに、3日もすれば
全種類食べて、どれだけおいしくても 飽き飽きします。

100gあたりの金額と
1㎏あたりの金額を間違え
「最高級のあずき」を仕入れてしまったり。
採算度外視のアンパンです 笑
母親が、
お昼に飲もうと
冷蔵庫に保管していたオロナミンCが、
売り物と間違えられレジに持ってこられ
売らざるを得なくなったり。
近所の
中学校のお昼の指定業者として
指定時間にオヤジは
必ず行く必要があったため
その日の店番に母親か私がいなければ
店がまさかの無人営業になったり。

もうむちゃくちゃです。

夏のある日オヤジが、
「3軒隣のラーメン屋が
 どうやら、今年冬まで持つかどうからしいわ
 近所の人が だいぶ きびいしいって言ってたわ」

「俺らも頑張らなあかんな」

それから、1か月後、
オヤジは店をたたむ決心をしました。

なんと、あぶないと言われていた
3軒隣のラーメン屋よりも早かったのです 笑

やはり、

朝が早いのはつらいです。
家から遠いというのもつらい。
中学校の指定業者になっている
というのも小金は稼げるが
身動きが取れない。
寝る間もないくらい長時間働きながら、
お金の計算をするのはオヤジには無理でした。
その割に儲からない。
もう希望も夢も、なにもなかったのです。

オヤジは、
株の投資家でもあり
「損切り」の意識だけは
あったので助かりました。

「傷が、浅いうちにやめておく」

この「損切り」の精神は、
今の私には 大切なメッセージとなっています。

その後、
店を立ち退く際に
現状回復をするようにと
業者に騙され!?
更に借金が増えたのでした。

10年前からの前の持ち主の分の傷とかも
数か月間使ったオヤジが直させられる
ハメになったのでした。

借金は、モメますよ。
それはもう、思っている以上に。

貧すれば鈍するで、
パン屋の苦痛はなくなったものの
様々な家庭の問題が、噴出しました。

早く楽になりたいオヤジが
「家を売る」と言い出し、

私と、妹は、バイト代を
ひたすら家に入れました。

我が家を守るためです。
この時期は、
ほうれん草と豚小間のうどん。
こればかり食べていた気がします。

世間知らずのお坊ちゃん育ちで
甘っちょろかった私も
この一件で
ずいぶん強くなれたと思います。

主体性が持てたし、
危機感が持てたと思います。

あの時は
本当にしんどかったけれど
今となってはいい思い出です。

時間というのは、
本当に色んな事を癒してくれます。

あんなつらかった時期も
こうやってnoteで
披露できるようになるのだから。

実際、生きていく上で、それほど真剣に思い煩うことなど
無いのかもしれない。

全部、いずれ思い出になる。

その思い出こそが、
私たちの宝物。

もっと馬鹿になろう、
もっと愚かに生きよう。


スティーブ・ジョブズだって、
STAY FOOLISHと言ってるんだからさ。


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