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伝説の任天堂の元社長・山内溥さんに学ぶ、「自分の直感」を信じる力。

なぜ日本には
スティーブ・ジョブズが出てこないのか?

との問いがあったなら、

「日本にはちゃんと
任天堂の岩田社長がいたじゃないか!」

と答えていただきたい。

と、以前この記事で書かせていただきました。

その岩田聡さんの才能を見いだした
人物がいます。

もちろん、まぐれ当たりではありません。

横井軍平さん宮本茂さんといった
一目ではわからない天才や秀才を然るべきポストにつけ、
才能を開花させてきたのは有名な話です。

そう、伝説の社長を見いだした経営者もまた
とんでもない伝説の人物なのです。

愛称:組長

その強面な風貌に加え、歯に衣着せぬ豪快な発言から
ネット上ではそう称され愛されました。

事実、
怖い部分もあった人物でありながら、
カリスマ性にも優れ、社員からはとても慕われていたそうで、
「社長を喜ばせたいから頑張ってる」という発言もあったそうです。
しかも、
その強面をもって「うちはケンカしたら弱いんや」発言を
していたそうです。


一代で世界のNintendoに発展させた人物

三代目社長 山内溥。

会社のトップとして大切な「決断力」には特に長けていて、
娯楽を扱う社長としての「勘」が非常に鋭かった人物です。

良くも悪くも経営はワンマンでしたが、
社長を引き受ける際の条件が「同族を要職から外せ」でしたが
老舗企業にありがちな社内の権力者同士の足の引っ張り合いや
一族間での争いとは無縁であり、
経営に集中することができたのかも知れません。
これも、先見の明ではないでしょうか。
この時も自分の直感を信じて曲げなかったのがさいわいしたのでしょう。

「直感力」が優れていた人物。
当時大ヒットを飛ばしていたはずの「ゲーム&ウォッチ」が
まだまだ売れ行きが安定していた時期に
すでに「先が見えた」と見切りをつけ
次にを開発せよと指示しました。
これが、のちの「ファミリーコンピューター(ファミコン)」へと
つながったのです。

ファミコンのメガヒットで経営者として、
マスコミ等の周囲から大いに持て囃されるも
全ては「運が良かったからだ」と答えたそうです。
ファミコンに手を出したのも
「他に出すものがなかったからだ」と語ったそうです。


「ゲーム業界にあるのは天国と地獄だけ。中間はない」
ゲーム業界の特性を知り尽くし、
自身も過去に経営で何度も困った経験から
任天堂は無借金経営を貫いているそうです。
お金を借りて銀行の意向をお伺いしているようでは、
おもしろいゲームの開発はできないとの考えもあったようです。

「経営が厳しい時代、さんざん金融機関にはいじめられた。だから何があっても、会社が生き残れるようにすると心に決めた」
とも言っていたようです。

「娯楽に徹せよ、独創的であれ、身の丈を知れ」
との考えが、
任天堂の企業文化を醸成していくことになりました。

狂気の男気。
「10億や100億円の資産の増減にまったく興味がなかった」と
言われています。

2002年社長退任の際に、
長年の功績と感謝を込めて多額の退職金を提示されるも
「社業に使え」と、
退職金を辞退したと話題になりました。

寄付に関しても
自身の入院を機に、京都大学医学部附属病院に
約75億円を寄付したとも言われ、
他にも、
嵐山の文化施設にも約20億円の寄付を行ったとされています。

とはいえ、
単に社会貢献に熱心ではなかったようです。
財界活動などには批判的で、
「企業は税金をたくさん払うことこそ社会貢献」
と公言していたそうです。
故に、有名企業でありながら、京都商工会議所などの活動には
一切タッチしなかったそうです。
病院への寄付については、
自身が目の治療で京大病院に入院し、
病棟の老朽化がはげしいことを目にして自ら申し出たと言われ、
自分で見て、自分で感じたことしか信じない人だったと言われています。
すべて、自分で信じたことのみを信じていたのでした。

息子や女婿に社長の座を渡さず、
ゲーム会社のトップなのにほとんどゲームをしなかった。

とも言われています。

1992年には日本企業として初めてシアトル・マリナーズを買収し、
同球団の共同オーナーを務めていたこともあった。
佐々木主浩やイチローなど日本人選手の獲得にも尽力したと言われている。
ただし、球団経営には口出ししておらず、
マリナーズの試合を観戦したことは1度も無かったそうです。

2013年9月19日、肺炎のため死去。
個人的に資金援助した「京都大学医学部附属病院」で最期を迎えた。

85歳没。

経営者として数多くの失敗と成功を経験し
最後に重んじたのは、
「任天堂」の社名の通り「運を天に任せる」ことだったようです。
当たり外れの大きな娯楽産業の本質を捉え、どんなに成功しても
自分の才覚と己惚れず、ひけらかさず、分をわきまえることだったようです。
とはいえ、自分の見たもの感じたことだけを信じ
自分の直感を信じる「希代の勝負師」でもありました。

その生き様からは、
たった1度の人生。
自分の信じたものを貫いてみろ、

言われているように思えてなりません。

彼の記念碑を見たければ、周りを見渡してみるといい。
それは、そこにあるだろうから。

海外のゲームサイトにおける
山内溥の訃報に対するコメントより

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