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久しぶりに かなり凹んだので、「自分が考えたことなど」をメモっておこうと思いました。(※注意 長文です)

信頼していた部下の退職の意向を聞いて、


「体制への反抗心」と言うか、
なんとも大きな熱量が
私に湧いてきました。


そんなところに、
立て続けに事件は起こり
別の課員に業務改善命令を出すことになり。
仕事は手一杯。

様々な、強引な制度の制定。
上っ面だけの制度に
翻弄される現場。

その尻ぬぐいをしつつ、
嘘ばかりの建前を見抜く部下たち。

熱いものが抑えられなくなり
上司とも衝突。

正直、退職も考えたのですが、
次にやるべきものが見つかっていない状態での
イヤになっての退職は敗戦であり、
しばらく辛酸を舐めながら
戦略を練り直すことになったのです。

なかなか不利な立場に置かれることは
目に見えています。

こういった場では
感情的になるべきではありませんね。
わかってはいるのですが。
理論的に処理されると、
ますます、不利な立場になってしまいます。

久しぶりに、
かなり凹みましたし、
心も病みそうになりました。

まわりを見ては、
自分を卑下していまう
精神状態は、
私からしても
異常だとはわかるのですが
その気持ちから抜け出すことが
なかなかできませんでした。

少しくらいは、あったはずの自信も
完全に吹っ飛び
無能感だけを感じて、
ただただ、信用のおける同僚の
私の置かれている状況の
冷静な現状の分析と
温かい言葉の数々に
助けられたのでした。

そんななかでも、
夜中に何度も目を覚まし悩んだ私が
ほんの少しでも気が楽になった
心構えや考え方を
今後の自分のために
記録として残しておきます。

また、凹むことは必ずありますからね。

「なぜ、この経験をする必要が
あったのだろうか?」

これはなかなか良い質問でした。
最終的に、いずれ来る退職をリアルに考えるためだと考えました。
よりよく生きるための大きな問いだと考えることにしました。

「悪くないは、良しと考える。」
良くなくても、
悪くなければOKではないか。
凹んでいる自分には高い目標はつらいので
達成度合いは低くてもOKだと
自分自身を許容しようと試みました。

「長い目で見るな、今日一日だけ生きるんだ」
ついつい部下のことなどを背負い込んでしまう自分には
気分を少し楽にしてくれた考え方でした。
平凡にとりあえずその日を過ごそうと考えました。

「いい気分でいよう。
気分は自分で引き寄せているから」

なかなか気分は晴れないけれども
いい気分になるよう努力しようと考えました。

「なんとかなる」
もしも閑職に追い込まれたり
左遷をされたり
会社を辞めることになるんじゃないかと
得も言われぬ恐怖と不安が襲ってきましたが
生きていればなんとかなる。
身体が動けばなんとかなる。
そう思えたら少しは気が楽になりました。
だって、まだ元気だし、
ありがたいことに健康だから。

「どこでも似たようなことはある。
そこで、今の同僚という仲間すらいないのは
つらいものがある」

例え、他社に転職したところで
同じような悩みは起こるだろう。
一時的な「逃げ」になるのではないか。
そう考えると、少し思いが
極端に辞めるに振り切ることはなくなりました。

「仕事ができる・できないではなく、
どれだけ「いい駒」になれるかどうかが
評価ポイントなのだ」

出世コースから外れようが
仕事が出来ないということと
イコールではないのだ。
そう思うと気が楽になります。

「好き勝手やってやる」
自分のやりたいようにやる。
どうせ、色眼鏡で見られるんだったら
好きなようにやってやるぜ。
この考えで、元気になりました。

「思わぬ人に連絡を取ってみる」
誰に相談したらいいものか悩みましたが
取引先の懇意にしていただいている社長さんや
私の母方の伯父さんや
前職の元上司など色々考えていましたが
たまたま
noteでフォローさせていただいている、
なさじさんの
【「優秀な奴隷」の基準に合っていないからかもしれない。】
という記事を読んでいて思わずコメント欄で
相談をさせていただきました。
円が重なる部分の話や、
【静かにたくらんでいれば良いのです。
そっちの方がよっぽど強くてかっこいいと思います。】
とのコメントに心がすごく楽になりました。
その節はありがとうございました。

なさじさんに相談して正解でした。
そして、私自身も今までお会いしたことのない方に
相談をすることが無かったのですが、
結果、普通であればお会いすることのなかった方に
相談をしたのです。
同時に 今回の件で、noteの大いなる可能性も感じました。

<↓こちらがその記事です↓>

「走ろう」
やっぱり、悔しい時は
この継続し続けている
ランニングを何があろうと続けてやる。
カッコいい大人であり続けるのだ。
ストレス解消でもあり、
有言実行の証明の1つでもあるのだ。
そして、体力は大切だから。
気力の7割は体力のはずさ。

「べきじゃなく、やりたいをやろう」
自分の心がしんどい時には
やはり、「やるべきこと」は
わかっているのですが、
気負ってしまうので
数少ない「やりたいこと」をやろうと
気持ちを落ち着かせました。

「寡黙に行こう、沈黙を心がけよう」
色々言い訳や、
自分の主義主張、
相手の非を指摘したくなりますが
なるべく、寡黙で行こうと決心しました。

「ゆるく頑張ろう、いい加減に行こう」
やはり私はすぐに、
ゼロか100か。白か黒か。
と判定してしまいたくなる性分ですが
そうではなくて、
「いい加減」「程よく手を抜く」
そう言った気持ちが必要だと思いました。

「あっと言わせようとするな、
スカッとしようとするな」

自分の中の功名心を、本心と勘違いしないように
自分自身を戒めました。

「親父と同じ轍を踏むのか」
私の父親が、
私が高校3年生の時に
突然会社を辞めてきて
長い間、暗黒の期間がありました。
そのことを考えると、
オヤジの血をを引いていることに
なんとも言えない気持ちになりました。
そして、息子や娘の顔を思い浮かべ
少し、思いとどまるのでした。

「3日耐えたら好転するのだ」
とりあえず、しんどくてたまらないと
思ってから3日間だけ耐えれば
あとは好転していく。
人生は波であり、そのピークが今なのだから。
そう言い聞かせて耐えました。
案外3日すると気持ちも少しですが
マシになりますね。

「別に、犯罪を犯したわけではない」
大丈夫、何もこの組織のおかしい規律や押し付けに
声を荒げただけで何もおかしいことではない。
ましたや犯罪でもなんでもないから
ビビることはなにもない。
仲間にだって胸張って話せることだから。

「Da Cosa Nasce Cosa.(物事は思わぬ展開をするものだ)」
何が起こるかなんてわからない。
将来に悲観するな。
俺の上司の方が逆に大きなミスから飛ばさせるなんてことも
起こったりするかもしれないからね。
そんなことは誰にもわからない。
だから、余計な心配はしなくてもいい。

「もう人生の後半戦なんだ」
前半戦のような主人公感はないし、
組織でも、華もなくなったし、
いつまでも中心でいてはいけない。
わかっちゃいるけど、
必要とされていない寂しさはある。
人生80年。40歳を超えれば悩む年頃なんだろう。
後半戦に差し掛かり生き方を模索しているのだ。
ごく普通の、みんなが通過する道なのだ。
そう考えると、気持ちも少し楽になりました。
生き方を見直すいい機会なんだと。

「ショーシャンクの空にのアンディのように」
つい最近見た金曜ロードショーの
「ショーシャンクの空に」のアンディのように
希望を失わず、虎視眈々と自分のできる努力をする。
アンディのことを想うと、勇気が出てきます。

「辞めさせられるもんなら、辞めさせてみろ」
こんな気持ちでいようと思いましたね。
ファイティングポーズは必要ですね。

「人生なんてね、棒に振ったっていいじゃん」
そんな気持ちでいいのかもしれないなあと思いました。
そんなに無理して人生を充実させようとしなくてもいい。
人生を良くしなきゃ、もっと良くしなきゃって
必死になってないか。自己実現しなきゃとかね。
とにかく肩に力が入りすぎているのかもしれない。
ただ、経験値が1つ増えただけ。
反省をして、とっとと次に進め。
ただそれだけ。もっとドライに行こう。
それで気持ちが少し楽になります。

「約100年前の大正時代の平均寿命は44歳だった。
もっと好きに生きてみよう。」

子ども2人授かった。
生物的には目的達成で、
「あがり」なのかもしれない。
45歳の私は、
100年前の平均寿命44歳を超えた、
それこそ人生のボーナスタイムに
入っているのかもしれない。
もっと好きに生きてみてもいいのかもしれない。
そう思うと気持ちが楽になりました。

「正解でなく納得解、正解を求めれば病気になる」
こんな混沌とした時代に
「正解」などないのだろう。
幻想の「正解」を追い続ければ
心が病んでしまう。
「正解」ではなく、
自分が納得できる答え「納得解」を
求めるそれだけでいいのかもしれない。

「まさに【今】ってことじゃないのか?」
おじいちゃんとかの昔話で、
よくあった絶体絶命のピンチ、それを踏ん張って乗り切ったみたいな話。
まさに「今」じゃないんだろうか。
逃げるんじゃねえ。踏ん張りどころだ!みたいなのが
「今」まさになのかもしれない。
なんか「人生をリセットしたい」そんな気持ちばかりだけど
それじゃ、「逃げ」のような気がする。
踏ん張りどころは「今」なのだ。

最悪の最悪、土下座すりゃいいじゃん。
謝るくらいの方が、懐に入ってかわいいものかもしれない。
絶対嫌だけど、土下座して謝るのも1つの手。
そう考えると、少しは気持ちも楽になるのだ。
そんな最後の手段として懐刀のように持っておこう。

「この負の感情をnoteの記事にしよう」
そう考えることで、
この自分自身のこのピンチを
客観視することができましたし、
こうして、自分の気持ちを改めて
書くことで心の傷も少し癒えました。
そして、自分自身の記録にもなるし。
誰かの役に立つかもしれない。
そう思うと、少し前向きになれました。


この凹んだ時期によく聞いていた曲です。
Def Tech/Bolero(ボレロ)

あんまり、
これを見返すような
凹んでしまうような出来事は
あまり起こってほしくないな
なんておもいつつ、
一旦筆を置きます。

この文章が誰かの役に立つと嬉しいです。

なんしか、カッコいい大人になろう。

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