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偏見

全ての事に公平で思い込みも無く正しく接することなんてできません。

要は人間誰しも偏見のひとつやふたつあるもんだ!って事です。

偏見とは文字通り偏った見方をすることです。なぜ偏ってしまうのか? それは知らない or 勘違いしているからです。(たま悪意にも似たのもありますが・・・)
もちろん広い視野でより良い見方ができたら素敵ですが「視野を広げろ!」なんて叫ぶつもりも無いです。

前フリが長くなりましたが私が昔、知らず知らず偏見を持っていて勘違いに気づかされた出来事を記したいと思います。

ある日の仕事帰り、新宿駅から座って帰るため電車を1本見送る事にした。目の前で無尽蔵に人を吸い込んでいくドアの前に立っていたら、控えめなフリルのついた白のワンピースを着た女性が電車とホームの間に足を取られてしまった。 酔っ払いかな?と思いながらすぐに周囲の人と抱き上げ怪我が無いことを確認したのだが1つだけ違和感があった。

床に転がった白杖だ。(白杖とは視覚障がい者などが安全の確保や情報の収集に使う杖。)

何かを探すように動かす彼女の手に白杖を収めると安堵の笑顔が垣間見れた。きっと視覚障がい者だったのだろう。

私は「障がい者はオシャレをしない」と思っていました。

障がい者と接点のない環境で育った為かそれまで目にした白杖所持者が着飾っていた記憶はありませんでした。
事実、床に転がった白杖を見つけられないほどの障害を持った彼女がどのように綺麗なワンピースを選んだかは解らない。しかし少なくとも彼女には「美しく見せたい誰か」か「美しくあって欲しいと願う人」のどちらかがいるはずだ。それが親なのか恋人なのかは知る由もないが。

それって幸せな事だと思います。

彼女は視覚障がい者で電車とホームの間に落ちてしまったが幸せな人生を歩んでいるに違いない。
実際どうなのか確認する術もないし、ただの妄想かもしれないが、そうあって欲しいなとその時思いました。
同時に「障がい者は不幸だ」と決めつけて事にも驚きました。
「俺はこんなにも偏見を持っていたのか!」と情けなくなりました。

このように自分を戒めてくれる体験はなかなか無いので何かの助力になれば幸いです。

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