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手からこぼれ落ちる雫

「貧困」という言葉を聞いて、私たちは何を想像するだろう?私は「貧困」という言葉を聞くと、マザーテレサのある言葉を思い出す。
「最も悲惨な貧困とは孤独であり、愛されていないと感じることです。」
マザーテレサのこの言葉はいつも私に一つの疑問を投げかけるのである。果たして私たちの住む日本に貧困はあるのかと。私の中の答えはイエスである。
日本は戦後大きな復興を遂げ、経済大国となった。物質的に豊かになり、私たちはあらゆるものを手に入れることができるようになった。しかしその一方で、核家族化は進み、人間関係は希薄となり、『孤独死』という言葉は現代の日本を表す言葉の一つとなった。
物質的な豊かさと心の貧困は、表裏一体なのではと感じることさえある。

今回初めて婦人保護施設の存在を知り、またそこに保護されている女性たちの劣悪な生育環境、婦人保護施設に入るまでの凄まじい人生に、同じ女性としてショックや怒り、痛み、女性たちの孤独感を感じずにはいられなかった。多くの場合、幼少期からの親族による性的虐待・暴力を経験しているとのことである。またその末に売春行為へと行きついた例も少なくない。彼女たちには、自己肯定感、男性への恐怖心、人への不信感、孤独感、言語化の困難性が見られる。これらを通して、私たちは経済的側面からみた「貧困」だけでなく、人間として受すべきあらゆることが大如している「貧困」について考えさせられた。
では婦人保護施設への保護にいたる要因とは何であろう。そして保護された女性たちの「生きづらさ」とはなんであろう。
まず彼女たちを取り巻く環境面に目を向けてみたい。一つに家族構成の変化があげられるだろう。昔は3世代同居というスタイルが当たり前であったが、現在は核家族化が進み、たとえ家族内で問題が生じても解決の糸口が見つからず、その問題を抱え込んでしまい、表面化するのが困難な状況にあるのではないか?ことに近親者からの性的虐待となると、被害者にとっては他者に知られたくない「事実」であり、第3者に相談することが難しいと言える。また虐待の世代間伝達も大きな要因の一つであると考えられる。虐待により子供を支配しようとする負の連鎖は続いていくように思われる。
もう一つの要因として、彼女たちが身を落とす性風俗の場が、一部公然と認められていることにあるだろう。
経済面から考えると、経済的な格差が教育格差を生み、教育格差が学歴格差を生んでいるように思われる。経済的に困難な状況においては、そのストレスのはけ口が子供へと向いてしまい、虐待につながるのではないか?
次に保護された女性たちのメンタル面について考えてみたい。幼少期から性的虐待を受け、暴力・恐怖の中で生活し続けてきたことにより、アイデンティティが確立できず、自分を閉ざすことで生きてきたという印象を受ける。虐待により自分のすべてを否定され続けるということは、想像を絶するほどの孤独であり、そして彼女たちは自分を孤独から守るために売春に身を投じ、そこでしか自分の存在価値を見出せなかったのではないだろうか?彼女たちにとってはそれが生きていくための唯一の手段だったのである。
愛し愛されたいのに、愛を知らないためそれすらできず、人を信頼することもできない。
性的虐待の被害者でありながらもそれを打ち明けることもできず、逆に差別や個見の目で見られることもあるだろう。社会からの孤立、孤独感こそが彼女たちの生きづらさなのではないか?
この生きづらさとどう向き合い、克服していけばよいのだろうか?
私は、人間関係が希薄化しているこんな時代だからこそ、一人一人がこれらの問題を他人事として捉えるのではなく、社会全体の問題として捉えることが重要であると思う。もちろん、彼女たちの身体的・精神的な苦痛をすべて理解するのは不可能であるが、彼女たちを取り巻く状況を理解し、共感することが大切である。
親からの虐待によりたくさんの幼い命が消えていくというニュースが増えていく中、私たちも少しずつ虐待に対して関心を向け、アンテナを張るようになってきたと思う。私たち自身が他者に関心をもち、「一人ではないよ」と発信していくことも大切である。そこで大きな役割を持つのが、コミュニティーの存在である。困っている人をみんなで支えていく、受け入れていく、そんな地域社会が増えていくことが望まれる。
私自身、これまで婦人保護施設の存在を知らなかった。しかし、今回こうして学ぶ機会を得、問題を深く掘り下げることで見えてきたことがたくさんあった。

「最も悲惨な貧困とは孤独であり、愛されていないと感じることです。」

マザーテレサの言葉を借りると、彼女たちは貧困者に当たるかもしれない。しかし私たち一人一人が関心を向け、「あなたは愛されているのだ、大切な人なんだよ」ということができれば、日本から貧困はなくなるのでないかと思う。このような女性が減り、平和な日本になることを期待してやまない。

※婦人保護施設とは?

上記のレポートは、私が11年前に書いたレポートです。一部を削除・修正して載せました。拙い文章にお付き合いいただきありがとうございます。

今回この記事にこのレポートを載せようと思ったのは、この映画を見たからです。

あんのこと。

幼い頃から母親に虐待され、売春を強要される、その中の客から覚醒剤を勧められ、逮捕された頃には立派な薬物中毒者に。
でもこの話はフィクションではなく、実話をもとに作られた物語だそうです。
私がレポートで書いたようなことが映画のなかで実際に起こっていました。
最悪なのは新型コロナ拡大により女性たちがおかれている状況は11年前よりはるかに厳しいものだったということです。

主人公の杏は、刑事や自助グループ、女性保護施設、夜間学校、就労先である介護施設で、これまで味わったことのない人の優しさや温かさに触れ、機能不全家族から逃げ、薬をやめ続けるところまできます。
学ぶ楽しさ、人に必要とされる喜び、綺麗な住環境…。生きる希望を見出した矢先に新型コロナウィルスの蔓延、再び大人たちに裏切られ、絶望した彼女は…。

映画全体が今の日本の空気を映し出すかのような重苦しい雰囲気でした。彼女はあたかも社会という手からもこぼれ落ちた雫のように感じました。こうしてこぼれ落ちてしまう人はきっともっと多いはずです。

虐待され、学校にも通えず、劣悪な環境で育ちながらも、人としての優しさをそなえた杏の姿を見ながら、自然と涙が出ました。
なんでもいい、彼女が何かの支援につながることができていたらと悔やまれてなりません。

虐待はなぜ起こるのでしょう。
映画を見ながら根本的なことをずっと考えていました。

杏と同じ境遇のひとはきっと今も日本のどこかにいる。
私たちが見ようとしないだけで、今も必死で生きようとしている。
社会からこぼれ落ちる雫、その雫を再びそっとすくいあげる社会であればと思います。


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