上記のレポートは、私が11年前に書いたレポートです。一部を削除・修正して載せました。拙い文章にお付き合いいただきありがとうございます。
今回この記事にこのレポートを載せようと思ったのは、この映画を見たからです。
あんのこと。
幼い頃から母親に虐待され、売春を強要される、その中の客から覚醒剤を勧められ、逮捕された頃には立派な薬物中毒者に。
でもこの話はフィクションではなく、実話をもとに作られた物語だそうです。
私がレポートで書いたようなことが映画のなかで実際に起こっていました。
最悪なのは新型コロナ拡大により女性たちがおかれている状況は11年前よりはるかに厳しいものだったということです。
主人公の杏は、刑事や自助グループ、女性保護施設、夜間学校、就労先である介護施設で、これまで味わったことのない人の優しさや温かさに触れ、機能不全家族から逃げ、薬をやめ続けるところまできます。
学ぶ楽しさ、人に必要とされる喜び、綺麗な住環境…。生きる希望を見出した矢先に新型コロナウィルスの蔓延、再び大人たちに裏切られ、絶望した彼女は…。
映画全体が今の日本の空気を映し出すかのような重苦しい雰囲気でした。彼女はあたかも社会という手からもこぼれ落ちた雫のように感じました。こうしてこぼれ落ちてしまう人はきっともっと多いはずです。
虐待され、学校にも通えず、劣悪な環境で育ちながらも、人としての優しさをそなえた杏の姿を見ながら、自然と涙が出ました。
なんでもいい、彼女が何かの支援につながることができていたらと悔やまれてなりません。
虐待はなぜ起こるのでしょう。
映画を見ながら根本的なことをずっと考えていました。
杏と同じ境遇のひとはきっと今も日本のどこかにいる。
私たちが見ようとしないだけで、今も必死で生きようとしている。
手からこぼれ落ちる雫、その雫を再びそっとすくいあげる社会であればと思います。