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推し活で超高齢社会に挑む!

我輩も病である。治す気もない。

これは、私が最近秒で沼落ちした人物のファンの方が、写真に添えてネットにあげていた文章である。夏目漱石の「我輩は猫である。名前はまだ無い。」に引っ掛けている秀逸さ。見事である。

沼落ち。

そう、それはもはや病だ。そして治ろうなんていう意志はなく、なんならずっとこの病でもよいと思わせてしまう魅惑的な言葉だ。

さて、昨今猫も杓子も推し活なのだが、私の故郷で面白い活動がなされていることをYahoo!ニュースで知った。

これは『セサミンEX』などでお馴染みのサントリーウエルネスが、2年前より推進している『Be supporters!』プロジェクト。https://www.suntory-kenko.com/contents/enjoy/besupporters/

ホームページを見てみると、地元のサッカーチームの応援を通じて、こころも体も元気になってもらおうというプロジェクトらしい。

Yahoo!の記事によれば、高齢者施設に入居中の女性は認知症による周辺症状に悩まされていたが、サッカーチームの選手を応援することによって介護度が改善。おまけに選手が施設を訪問した際は、杖を忘れて駆け寄る姿も見られたという。

さらには施設で働く職員にも変化があったというから驚きだ。慢性的な人手不足、忙しい環境の中で人命を預かることはとても大変なことである。そうした状況の中で、職員と入居者がともに何かを応援するということは大きな意味があると思う。
例えば試合の日までに応援グッズを一緒に作成する(レクリエーションの一環)、選手に会うために体をきれいにしておく(入浴する)、運動を頑張る・・・・等、思いつくだけでも色々な場面が思い浮かぶ。

そういえば、以前こんなことがあった。
デイサービスで働いているとき、80代後半で車椅子生活をされている女性が、ある男性アーティストの写真集を持参してデイサービスにやってきた。
私はまったくその人のことを知らなかったのだが(J SOUL なんちゃらの人)、その方が写真集を見ながらいろいろなことを教えてくれるのである。

「岩ちゃんはね、○○大学を卒業していてね、実家がどこどこでね!」
「へぇ~!そうなんですね。」と相づちを打ちつつも何がなんだかさっぱりわからなかった。が、今ならわかる、その気持ち。

ファンとは推しのあれこれを熱く誰かに語りたい生き物なのだ。

その方は様々なことに助けを必要とされていたが、推しを語る姿はまさに恋する乙女に匹敵するキラキラ感だった。

先に紹介した記事にもあるように、高齢者は誰かに『支えられる存在』という認識が私たちの中にある。しかし誰かを応援する、支える側になるという視点もこれからの超高齢社会には大切なのだと感じた。
私自身がアイドルを応援する中で感じるのは、ファンとアーティストはお互いに支え合う存在であること。このことに年齢はあまり関係ないと思っている。

今回この記事を書くに当たり、医学的に「推しと認知症」を検証した文献がないかと探してみたが、見つけることができなかった。もしかしたらこれから少しずつ研究されていく分野なのかもしれない。

たくさんのサイトを見た中で思ったのが、誰かに強制されて推しをはじめるのではなく、自分の心が知らず知らずのうちに動いて好きになるということが大事だということ。そう、

沼に落ちるかのように!


来たるべき2025年にむけて、様々な方法で私たちは超高齢社会に対応していく必要がある。推しはアイドルでも俳優でも石でもなんでもいい。何か夢中になれることを持つということは、意味のあることなのかもしれない。かくいう私も80、90代まで推しを応援するつもり。どんな婆さんになっているか楽しみだ。




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