みんなちがって、みんな好き【作者によって、文体はこんなにちがう!】
ほぼ連続的に違う作者さんの書いた小説を読んだ時のこと。
読んだのは、池井戸潤先生の『半沢直樹 銀翼のイカロス』と、中山七里先生の『刑事犬養隼人 ドクター・デスの遺産』です。
どれもとても面白く、大好きな作品の列に加わりそうです。
同時に、作者さんの文体に気づいたことがあり、それをまとめいてみようと思いました。
ここに書いていくのは、あくまで私個人の感じ方です。
文章の書き方について感じることはひとそれぞれですし、特定の誰かを批判するものではありません。
「みんなちがって、みんないい」の精神を心に留めて読んでいただければ嬉しいです。
そもそもが脚本みたいな『半沢直樹』
私は『半沢直樹』という作品を、連続ドラマで知りました。
ドラマのイメージがついて回るので、初めて原作を読んでもその印象は変わりません。
初めて原作に触れて感じたのは、「これは、このまま脚本になりそうだ!(良い意味で)」。
具体的には、
全体的に会話文が多く、会話主体で物語が進行していく
半沢は銀行員であり、専門用語に精通しているため、主に専門用語の補足として、地の文が挿入されている(ドラマのナレーターさんの声で脳内再生されました)
地の文として入る心情描写はシンプルであり、会話をよりテンポの良いものにしている
ということです。
3つ目の心情描写について補足しておくと、
会話の合間に、半沢が「舌打ちをした」などとだけ書かれる感じです。
「舌打ち」という、目に見え、耳に聞こえる動作から、「思い通りに行かない展開であること」「少し腹立たしい状況にあること」を読み取ることができます。
もしかしたら、舌打ちをした時の半沢の心には、もっと別の感情も去来していたかもしれません。
例えば、上司に対する悪口とか(笑)。
でもそれは、文章として書かれてはいないので、あくまで読み手側が想像して読み進めることになります。
この、目に見え、耳に聞こえる動作だけが描かれているので、より映像化しやすい書き方でもあるかもしれません。
感情の移ろいが緻密な『ドクター・デスの遺産』
『半沢直樹』を読み終え、『ドクター・デスの遺産』に移った私は、すぐに2人の作家さんの文体の違いに気づくことになりました。
私の印象として、中山七里先生の文章はこんな感じ。
感情の移り変わりを表す描写が非常に細かい
主役である犬養隼人にフォーカスしつつ、他の登場人物の心情も理解できるように書かれている
的確な比喩表現と慣用句が多く、表情の想像がしやすい
ということです。
顕著な違いは、やはり感情の描写。
言うなれば池井戸先生はあっさり、中山先生はしっかりという印象でした。
ジャンル的に刑事モノであり、安楽死という賛否の分かれるテーマを扱っているから、なおさらだったかもしれません。
犬養刑事の心情の変化、今考えていること・感じていることがリアルタイムで細かく描かれているので、非常に共感しやすい文章だと思えました。
仮に、読み手である私が犬養刑事とは少し違う考えを持っていたとしても、
「犬養さんの立場なら、そう考えるよね、分かる分かる」
と、相手の立場を考えて理解できてしまうのです。すごい。
泣き崩れる直前の表情だとか、一口に「機嫌が悪い」ではなく、どんなふうに不機嫌なのかとか。
顔つきの変化が詳細に思い浮かぶので、読み進めながらひたすらに「すごいな」と圧倒されていました。
みんなちがって、みんな好き
前述の通り、私はどちらかを批判したりする意図は持っていません。
感じたことをそのまま書いたつもりです。
作品のテーマや主人公の特性、作者さんの「書やすいやり方」によって、最適な文章の書き方は無限にあるのかな、と思っています。
これほどまでに作者さんごとの文体の違いを感じられたのは初めてで、「こんなに違うんだ!」と素直に驚きました。
文体が全くと言って良いほど違っても、どちらも流れるように読みやすいんですよね、これが。
文章のリズムというか、それぞれに無駄な表現が一切ない感じ。
すごい。(語彙力)
物語としてものすごく面白かったと同時に、ものすごく勉強させてもらいました。
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