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「子どもらしさ」を演じていた自分の話

こんにちは。皇月ノエルです。

子どもの頃、「子どもらしい子ども」を演じていました。

腹黒い動機があったわけではなく、単に世間に溢れる「子ども」のイメージに沿おうとしていただけな気がします。

子どもを演じていた具体例たち

時々見る光景ですが。

親子がお散歩中に、道の向こうから犬(または猫)がやってくる。

子どもが「あ!」と指さすと、親が「わんわん(にゃんにゃん)だね~」と答え、散歩させている飼い主もにっこり。

幼い頃から私の中には、「子どもって、犬猫を見た時に『あ!』と言って指さすんだな」という印象があり、それに沿う形で、そのように行動していました。


あとは、ジブリ映画『となりのトトロ』に出てくるメイちゃん。

お庭で遊んでいる時に、お父さんのところにお花を持って来ますよね。

あれを観て「女の子はお花を摘むのか」と思えば花に興味を示し。

別のアニメで人見知りをする子が「かわいい」と見なされているのを見ては、「恥ずかしがるのも子どもらしくてかわいいことなんだ」などと捉えたりしていました。


すべて外部から影響を受けた「子どもらしさ」「子どもらしいかわいさ」。

今思えば、それらのメディアや周りの世界から、「子どもらしい振る舞い方」を学び取っていたような気がします。

小さい頃から、「自分はどうしたいか」が一部置き去りになっていたのでしょうね。


成長して語彙力が増え、当時のことをより豊かに言語化できるようになると、「私は子どもらしさを演じていた」ことに気づきました。

どう振る舞うか/どう表現するかが分からなかったから、周りで起きている、自分の目に入るものを参考にしていたのでしょう。

実を言えば虫は嫌いだから草むらに入りたくないし、犬猫が歩いていても、心の中で「かわいいな」と思う程度です、昔から。

「あ!」って言って親にお知らせした方が良いのかな、そうする人が多いのかなと思って、そうしていただけ。

一見すると、当時の私も「無邪気な子どものひとり」だったかもしれませんが、内情はそうではありませんでした。

20年越しの無邪気さ

高校生の頃辺りから、「演じていた子どもらしさ」にちょっとした変化が。

スピリチュアルの探求を始めたことによるのでしょうか。

純粋な無邪気さとでも呼ぶべきものが生まれ始めました。

道端に咲いている花を、自然と「綺麗だな」と思ったり。

見かける犬猫に手を振ったり。

パトロール中のおまわりさんに手を……は、さすがに自分の外見が成長してしまったのでやりませんが。
心の中では種々のかっこいい職業の人達に手を振ります。

「子どもはかくあるべし」に規定されない形で、子どもみたいな感性が芽生え始めた感じです。

スピリチュアル界隈を探求していると本来の自分に還る、と言いますが、その影響もあることでしょう。

大人になってから子どもみたいな感性を活かすと、めちゃくちゃQOLが上がって毎日が豊かになっていいですね。

この間はタンポポを3輪ばかり摘んできて、綿毛になるまで花瓶で育てていたのですが、タンポポの花が綿毛に変わっていく様子が観察できて興味深かったです。

「無邪気な」「子どもらしい」とは、時にマイナスな意味合いで使われることもある言葉ですが、かといって大人に不要なものでもないと思う。

少なくとも私は理性的だった子ども時代を疑似的にやり直すことで、自然界の綺麗さとか、毎日の豊かさとかを感じられています。

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