ASDのせいで解離しやすく、ASDのせいで記憶は失わない
ASDの人は解離しやすい、と何かの文献で読み、主治医からも似た話を聞いた。
一方でASDといえども、解離した際に出る症状や解離の様子は定型発達の人と変わらないようである。
そもそも解離はトラウマからの防御として起こることなので、ここに定型も発達障害もないのかもしれない。
僕たちはいわゆる「内在性解離」というものを持っていて、人格たちそれぞれの記憶が9割程度は共有されているのが、ふつうの解離と異なる点である。
主人格は行方不明気味だが、全員の考えたことや見聞きしたものがテレパシーのように分かるので、一個人のように振る舞うことに不便が出にくい。
重くしんどい経験を空白にできればと想像することもあるが……
記憶に断絶が生じることは僕たちが生き延びる上ではメリットにはならないと、どこかの時点で誰かが判断したのだろう。
僕たちは記憶を共有している。
これはASDの特性による決断ではないかと僕は考えている。
未知なるものへの強い不安感。
発達支援のひとつとして「視覚支援」「見通しが持てるようにする支援」という方法があるように、僕たちは予想がつかないことがひどく恐ろしく思える。
次に、何が起こるのか。
これから何をするのか。どうやるのか。
それがわからないまま何かをやらされることは、いきなり崖のふちに立たされ、「ここからジャンプしてみて。命綱なしで」と言われるような恐怖感に等しい。
周囲の人は難なくジャンプしていくように見えるのが、またさらに恐ろしくもある。
防御策としての健忘は、僕たちにとって「見通しの持てなさ」と似たような印象を受ける手段だったに違いない。
日々の印象が完全にばらばらになってしまったら、自分は誰なのか、次はいつ、どこに立っているのか分からなくなってきっと歩き続けられなくなってしまう。
フラッシュバックに耐えながら、薄ぼんやりとでも過去と現在と、他の人格が何をしていたかの印象を持ち続けていた方が、きっと僕たちには有用だったのだ。
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