見出し画像

自己顕示欲が薄れていく最近

どういうわけか「自分は周りから見られないのかもしれない」という自己認識が幼稚園児くらいの頃からあった。

自分が実は幽霊みたいに透けていて、自分以外には認識されていないのではないかとか、存在を忘れられてしまうのではないかというような。

そこに虐待によって培われた低い自己肯定感が掛け合わされて、過剰な目立ちたがり屋だった学生時代の僕が錬成されたのではないかと最近感じている。


身を置く環境が変わると付き合う人が変わる。僕を取り巻く人が、出会う人が変わる。
人々の反応は僕が昔知っていたものと違う。大体は良い方に。

この4、5年をかけて起きた変化たちの相乗効果なのか。近頃Twitterに呟きたいことが減ってちょっと困っている。

大勢から「いいね!」をもらいたいことがないというか、「たくさんの人に見られたい、共感してもらいたい」と思う瞬間が減ってきた。目立つことが至上命題ではなくなってきた。
これは良い変化だと思う。
プロモーション的にはあまり良くないかもしれないけど……笑

人間、ある程度の自己顕示欲は必要だとは思う。マズローの欲求5段階説にも承認欲求は含まれている。
でも過度な承認欲求は毒だ。
人に無理をさせたり、背伸びをさせたり、欲求が満たされた時に天狗になりやすくさせてしまうと思う。

どういうわけか「めちゃくちゃ有名になりたい!」と肩肘張って頑張っている人より、「別に有名になりたいわけではない」と思いながら自分のやるべきことを頑張っている人の方が、人望があったり長い目で見ると認知度を獲得していたりする現象は世界のあちこちで見られる。
自己啓発系の本などでは、欲求を手放した時にようやくその「欲しかったもの」が手元にやってくる、などとも言われる。

欲しがっている状態は「欲しがっている状態(まだ持っていない状態)」の再生産にすぎない、と。
承認されたいから承認欲求を手放そうとするのは本末転倒だとは思うけれども。


僕はこの4、5年の間にいっとう親しく付き合える友達を得て、自分が透き通っていないことを体験的に学習しつつある。
助けを乞えば力になってくれるし、僕が感謝をしてもらえる瞬間もある。

昔夢見た「世界中の人に知られる」はまだ達成できていないし若干どうでも良くなりつつあるけれども、大勢に知られることよりも効果的だったのは、少なくとも彼ら彼女らだけは僕を視認してくれるし忘れないでいてくれると思える誰かが存在していることだ。


Twitterで何を呟こうかなという副次的問題は、いろいろプロモーションの知識を増やしながら手探りしている。




Jessie

読んでくださりありがとうございます。良い記事だな、役に立ったなと思ったら、ぜひサポートしていただけると喜びます。 いただいたサポートは書き続けていくための軍資金等として大切に使わせていただきます。