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水中都市に何を夢見るか

ジブリの名作『天空の城ラピュタ』で、一瞬だけ水中都市みたいなところが映る。
あそこが、ものすごく好きで。

水の中に巨大な人工物があることに、なぜかとてもわくわくさせられてしまう。

なぜ、水の中にあるというだけでそれほど惹きつけられるのだろう。

しかも、私はものすごく「水中にあるもの」をえり好みしてしまう。
具体的に何が、とは分からないのだけど、水中に沈まれていると反射的に「あ、無理だ」と感じて怖くなってしまうものと、水中にあるがゆえに「もっと綺麗だ、素敵だ」と感じるものとがあるのだ。

あるいはこれは、あるはずのない場所――人が長期間生身で暮らせるはずがない水の中――に人の手がつくり上げたものが存在するという、水中都市が持つ神秘性の両面なのかもしれない。

水中都市に憧れる気持ちはあるけれど、憧れだけで魅力的な世界をつくり上げるのがとても難しい。
ましてやキャラクターが動き回る小説の世界などを。

水中にある町を舞台にするとしたら、さて、どんな物語ができるだろう?
ここに書き手それぞれの感性が現れるのではないかと思っている。

魅惑の水中都市の一世界を、私は『みずうみの歌』に見いだした。


友達にとって印象深い本だと聞いて、わくわくしながら手に取ったこの本。

古い写真を手掛かりに思い出を辿る少年と、円形に陥没して水中都市になった町と、不思議な文芸作品。

特に嬉しい描写は、陥没がゆっくりだったために、建物がほとんど崩れず水に沈んだ場所も多いというところ。

人のつくり上げたものがほぼそのままの形で水中に存在するという、ロマンあふれる環境が出来上がっている。
その中を泳いでまわる機会があるかもしれないなんて、考えただけでわくわくする。

しかもジョリーとは違い、『みずうみの歌』で湖に潜る人たちは生身の人間だ。
深い場所まで潜るには道具と技術が必要で、それが制約と、スリルと……をもたらす。リアルな描写と日常に隣接する不思議が混ざり合っていた。


奥付けを見ると、『みずうみの歌』の刊行年は2013年。
計算すると……僕が中学生だった頃。

「本は出会った時が読み時」とはよく言ったもので、僕にとっての読み時は10年後の2023年だったなと強く感じた。

もしも刊行当時この本に出会っていたら、共感する登場人物も、登場人物たちに抱く感情も、結末に納得したかどうかも、何もかも違っていただろうことが容易に想像できる。今だから分かることがたくさんある。

きっとそれは悪いことではなくて、単純に「僕たちに変化があった」という、それだけのことなのだろう。小さくて、大きなことだ。

それならば、今後しばらく経ってから再び開いた時、また違う感想を持つこともあるかもしれない。

未来の僕たちは、どんな思いでこの本を読み直すだろう。

最後のページに至って本を閉じ、棚に挿しこむ時、タイムカプセルを埋めるみたいでわくわくした。





文責:直也 亜香里

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