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「読むのが遅い」素敵な人

こんにちは。Jessie -ジェシー- です。

友人が「本あまり読まないんだよね」と言うので興味深くなって理由を聞くと「読むのが遅いから」と言う。

それも申し訳なさそうに、言う。
私にはそれが印象的だった。

世間で速読術がもてはやされているからか、本を速く読めることが「良い」「すごい」「価値がある」と見なされている雰囲気を感じる。

二極の片方を「良い」とみなしたら、反対側はほぼ自動的に「悪い」「よくない」ことだとみなさずにおれないのは、人間のなのだろうか。

そして「みんな同じ」な空気がひときわ強い日本では、それが広く浸透しやすいのかもしれない。


一方で私は、「読むのが遅い」と自己評価する友人を素敵だと思った。

私は彼女が素晴らしい詩を作ったことがあるのを知っている。
いつもおもしろいところに目をつけるところや、おしゃべりする時間の楽しさが好きだ。

彼女とのおしゃべりは、私にエネルギーとインスピレーションをくれる。


本を読むのが遅いからって、その人自身が「よくない」わけではないし、そもそも私は本をゆっくり読むことができるところに、ものすごい価値があると思う。

いわば食事と似ている。

丹精込めて作った料理を、「美味しかった」の言葉だけで5分で完食され去って行かれるより、
一口ひとくちをゆっくり味わうように食べてくれた方が、そして「美味しかった」と言われた方が、私は「ちゃんと向き合ってくれている」と感じられるからだ。

私にはせっかちなところがあって、本を読んでいるあいだも「早く、早く次へ。早く読み終わらないと」と自分を急き立ててしまう。

本当は作者さんが選び抜き、したためた文字とことばのひとつひとつを味わいたいのに。


だから私はよくよく気を付けて、目が文字を速く追わないようにしなければいけない。
意味をとりこぼさないように、ちゃんと味わえるように、あえて目を釘づけて、読む。


読書する時間をゆっくり過ごすために多少の努力が必要な私は、意図せずゆるやかな時間を楽しむ才能を持った友人がうらやましく見える。


だから不必要に「読むのが遅い」ことを卑下しないでいて欲しいと思った。


画像はPixabayからお借りしています。

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