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中3にしてお釣りの計算ができるようになった話【百マス計算の効用と算数が苦手な人たちへ】

どうも。直也です。

僕たちは暗算を小学4年生くらいで習ったと思うが、正直なにをやっているのか全く分からなかった。

頭の中で計算ができる以前のところでつまずいていたからだ。

僕たちが突然暗算の勘所を掴み、間違えなくなったのは中学3年生の時。
先生が授業の最初にやり始めた「百マス計算」のおかげだった。

現在の学校は一斉授業が基本で、みんなが同じ授業時間の中で同じことを同じだけ理解したと見なされるが、人の理解は人それぞれのペースで進んでいく。早いことも遅いこともある。
理解できたらそこから急に強くなれる。

今日は、そんな話だ。

引き算でつまずいた小1の僕たち

小学校1年生で、足し算を習い、次に引き算を習った。

2桁の足し算で危うかった僕は、2桁の引き算でつまずいた。

なにをやっているのか全く分からない。

「17-4」という問題を例にとって説明しよう。

まず、「17」という数が上手く想像できない。
僕は足し算の頃から、余白に〇をたくさん描いて計算していた。
つまり、〇を17個描いて、そこから4つ引くことをやっていたのだ。

これでは引き算を理解している、とは言えないと思う。

1桁の足し算・引き算の頃からこれをやっていたので、2桁に進んで理解できるはずもなかった。

また周りはもう図を描かずに計算できていることに気づいてだんだん恥ずかしくなり、無理やり図を描かずに解こうとして失敗していた。

先生に「分からない」と言ったが、それを受けて教えてくれる先生の説明も分からない。
分かった気にはなるのだが言葉が上滑りしていて、目の前の「17-4」に向き合うと消えてしまう。やっぱり分からないのだった。

結果、「17-4ならだいたいこれくらいになるじゃないか」というあたりの数字を適当に書いて、提出しては×をもらうというのをくり返していた。


学年が上がるにつれて筆算はできるようになったが、暗算など夢のまた夢である。

数学の授業で始まった百マス計算

そんなこんなで中学3年生になった。
当時の数学の先生が、授業の最初に「百マス計算」の時間を設けるようになった。

確か「計算力の底上げ」みたいな理由を掲げていたと思う。

配られるプリントは、日によって足し算だったり、引き算だったり、掛け算だったりした。

僕は15歳になっても引き算の苦手さを引きずっていたので、回ってきたプリントが引き算だと分かりやすく憂鬱になった。
制限時間は1分間だったのだが、引き算だけ目に見えて空白(解ききれなかった箇所)が多いのである。

まるでできないことを突き付けられているようで、こんなことでは第一志望に受かれなさそうで、本当に嫌だった。

だが、何週間、あるいは何ヶ月経った頃だったのだろう。

僕は突然「開眼」したのだ。

百マス計算から学んだこと

いつだったろう、もう制服のワイシャツは長袖になっていた気がする。

僕は急に「1から20までの足し算引き算」が持つ規則性に気づいたのだ。


「なんか、『足すと10になる数字の組み合わせ』がある!」


1と9、2と8、3と7、4と6、5と5。

数字は10個あり、桁は果てしなく増えるが、足すと10になる数字の組み合わせはこの5個しかない。

この組み合わせに気がつくと、繰り上がりが生じる計算がとても楽になった。
ここからは僕の頭の中を言語化してみようと思う。


例えば、「5+7」。

まずは10の組み合わせになる数字を見つけようとする。この場合は5である。

7という数字は「5と2」に分解できるので、「5+5」は10になり、そこに余った2を足して答えは「12」となる……。

と、こういう考え方ができるようになったのだ。およそ9年越しの成長である。


引き算も同様。例えば「14-8」。

8は2があれば10になる。8には2が足りない。
この「足りない数」と、2桁の方の一の位(ここでは4)を足すと答えになる(ここでは6)。

これに気づいた瞬間、脳に電流が走ったような感覚があった。
急に視界が開け、自分がこれまで何をしようとしてきたか、目の前の百マス計算をどう埋めれば良いのか理解できたような感覚。

この時から僕のマス目はすべて埋まるようになり、ケアレスミスも次第に減って正答率が上がっていった。

嫌で嫌で仕方なかった、けれど授業のはじめで避けられなかった百マス計算が、僕に足し算引き算の技能を与えてくれたのだ。

百マス計算とおつり

僕が百マス計算のありがたみを感じたのは、何もタイムが上がったからだけではない。

「お釣りの計算が暗算でできるようになった」という、実生活での技能向上が感じられたからでもある。

僕は当時からよく本を買っていたが、税金(比率)の計算が苦手な上に暗算もできないので、支払額はモニターに表示されてから払っていた。

小銭が足りるか分からない時は、1400円くらいの本にとりあえず2000円出して漠然とお釣りをもらう……のように。

そうやっていつものようにモニターを見つめていた時、急に閃いたのだ。

「本が税込みで1470円(当時は消費税が5%だった)、僕は今2000円を出したから……。おつりは530円か」

ごくごく自然にそんな計算ができた自分に驚き、実際に530円のお釣りが返ってきたことにさらに驚いた。僕の計算は合っていたのだ。

しかも、これは4桁の暗算ができたということである。
僕がやったのは、前述した「10になる数字の組み合わせ」の応用に過ぎない。きちんとした理解があれば応用も利くということだろうか。

お釣りの計算ができるようになった僕の計算能力はさらに向上し、高校生になってからは
「お釣りで50円玉をもらうには……」
「お釣りをちょうど500円にするには……」と、キリの良いお釣りを極めることまでできるようになった。
この能力は小銭の管理、細かい小銭を増やし過ぎないことにとても役立つので、重宝している。

計算が苦手な子には何が必要なのか

計算の苦手な子が、全員僕と同じ思考回路をしているとは思わない。

だがもしかしたら計算の苦手な子を理解する助けになったり、何かの参考になるかもしれない、という視点で書いていく。

人が物事を理解するのにかかる時間は、人それぞれだと思う。

僕がいた1年生の教室の中には、足し算引き算を習って「まあそういうもんだろう」とすんなり理解できた子と、僕のように「何やってるかまったく分からん」という子がいたと思う。

僕が足し算引き算を理解できなかった理由は、「こういうものだよ」と説明された計算の仕組みが、腑に落ちて自分のものになるまでの理解に至っていなかったからだ。

元来、僕は自分でパターンを見つけて全体像にたどり着くタイプの理解をする。

計算問題なら、基本だけ教わり、それだけでは理解できない。
……から、大量の計算問題を解き、パターン(解き方、10になる数字の組み合わせ、連立方程式、入試問題の「点P」、間違い続けて覚える社会科の年号etc.)を把握して初めて、「ああ、そういうことだったのか」と理解できる。

その「理解」にたどり着くまでに人より時間がかかっているようだが、ひとたびこの「理解」にたどり着けばもう忘れない。

逆に「理解」に達する前にいくら全体的な話、「足し算とはこうやって解く」「そもそも小数とは……分数とはこういう仕組みで……」という話をされても、全く理解できない。

腑に落ちるまで解き続ける。僕に必要なのはそれだった。
他にも同じような理解体系を持っている子が世界のどこかにいるのではないかと思う。


百マス計算が僕に与えてくれたのは、これまで足りなかった「ひたすら計算する」ための大量の問題だった。

足し算引き算の仕組みを理解させようとするのではなく、ただストップウォッチを持って計測する、計算に集中させてくれる環境だった。

これが算数の苦手な子に対する、唯一絶対の「できるようになるやり方」だとは思わない。

だが世の中には「仕組みを遅れて発見していくタイプの子」がおり、周りより理解は遅いかもしれないが、一度理解したらかなり強くなれるということを知ってほしいのだ。

これは算数に限らない。

入った職場で必死に仕事を覚える中で、僕は人間関係の上下・繋がりや、仕事の全体像を徐々に自分の中で構造化しながら理解していく。

3ヶ月程度で自分の担当範囲より少し広いところまで気が回るようになれる。構造を把握できたら強いのだ。


だから今算数が苦手な人、算数が苦手な子どもと暮らす大人に言いたい。

単元が終わったのに理解が追いついていなさそう、どうしても○○が出来ない、分からないことに、そこまで落ち込まなくて良いと思う。

9年越しに理解に達する可能性もあることは僕が実証済みだ。

興味があれば、パターン化(構造の理解)に達することができれば、今までの閉塞感が嘘のようにできるようになることがある。

焦らず、焦らせず練習できたら良いし、さらにはそれを許してくれる学習の仕組みが構築されていったらいいなと思う。




直也

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