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TRPGが人生に教えてくれること

遊びの余韻

TRPGコンベンションを遊び終えた帰り道。私は解放感に包まれている自分に気がつきました。

「楽しかった! ロールプレイって楽しいな。自分は何にでもなれるんだ」

それこそが、TRPGによって得られる大きな気づきのひとつかもしれません。

みんな、どんな自分でいたいかを選択している
PLは「自分」という枠を抜け出して、まったく違う個人であるPC(キャラクター)のロールプレイをすることができます。

つまり私たちは、「これが自分だ」という特性を持って生きていますが、本当はやろうと思えば、どんな自分にでもなれるのです。

この気づきを得ることで、人間はポジティブな意味で大胆になれる気がします。

私の個人的な例

例えば私個人は、未だに周りの目を結構気にしてしまいます。

着物は好きだけど、「ここに着物で行ったら、物珍しい目で見られちゃうかな?」「変かな……?」と気にして、滅多に着て外出できなかったり。

実は先日のコンベンションにも着物で参加したのですが、前日から「着物で行こうか、やっぱりやめようか」と、睡眠が浅くなるほど迷っていました。

結果、「着物でTRPGする人になりたい!」という思いで着物で行ったのですが、思い切って良かったと思っています。

ある意味「いつも洋服の自分」というロールをこれまでしていたんだけど、
これからは「着物も積極的に着ていくのが自分だ」という新しいロールを始めるというイメージかもしれません。

ちなみに、KPをやっていたお姉さんいわく、着物でコンベンションに来る人は他にもいるらしく、私が珍しい人間ではなかったです。良かった。

仮に私が「人の目を気にしてしまう」特性を持ったPLでも、シナリオの中では「自分が感じたことに正直に、大胆に行動できるキャラクター」をロールできるとしたら。

自分の中にも「大胆さ」の種を持っていることになるわけで、やりたいと思えば、いつでも大胆になることができるのでしょう。

ただ、これまで「自分にそれができる」と気付いていなかったり、これまで通りのやり方に慣れてしまって、新しい挑戦に二の足を踏んだりしてしまっているだけ。

そう考えると、とても勇気が湧いてきます。

やりたかったけど、決意が固められなかったことに挑戦したり。

着物を着ていろんなところに出かけたり。

自分、なんでもできるじゃん、と思えました(*´▽`*)

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