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自分の状態を客観的に理解できる本【『その後の不自由 「嵐」のあとを生きる人たち』】

上岡陽江さん+大嶋栄子さん著『その後の不自由 「嵐」のあとを生きる人たち』(シリーズ ケアをひらく)を読みました。

アルコール・薬物等の依存がある人たちが、依存から抜け始めた後に直面する「不自由さ」について書かれた当事者研究本です。

……と書くと、「なんだ、自分には関係ないか」と感じる人もいるかもしれません。

でも大事なのは、依存があるかないか、ではない。

なぜ依存に陥ってしまったのかです。

まずは全体的な感想など
依存に陥ってしまうのはなぜか?

書かれているのは教科書的な「薬は危ないからダメだよ」とか「酒は飲んでも飲まれるな」ではありません。

なぜ女性たちが、依存に陥ってしまうのか。

依存は生き延びるためのやむを得ない手段であり、原因ではないのです。

本当の原因は、幼少期の虐待やトラウマ的体験。

それらが原因で人との上手な関わり方を学ぶ機会が得られず、不健全な方法や人間関係に陥ってしまう。

1つのものにのめりこんだから健康を損なう結果にまでなったのであって、もとから健康を損ないたかったわけではない。

それが上岡さんという当事者・経験者の目線から語られていることで、自然と腑に落ちるように理解できました。

自分を客観視することで見えてくるもの

本文は第1章「私たちはなぜ寂しいのか」から始まります。

この章で語られていることに、私は非常な共感を覚えました。

まるで自分の行動原理や根底にある価値観を、そのまま取り出して「こう思ってるよね」と言葉にしてくれている感じ。

いちいち首がもげるほど頷きながら読みました。

こういう共感的な体験をするたびに、本を読むことのありがたさ、素晴らしさを感じます。

自分のことはあまりにも身近すぎて、どういう言葉を選べば相手に自分を伝えられるのか分からない。

他人が書いた文章の中に、自分の断片を見つけることで、「そうか、こういう言葉を使えば良かったのか」「こう言えば伝わるのか」と理解することができる。

再びそういう体験をしました。

特に共感したポイントたち

ここからは適宜本文を引きながら、私が特に印象に残った部分を紹介していきたいと思います。

ニコイチ――全部分かって!の幻想――

「ニコイチ」とは、2つで1つということ。

相手との適切な距離感が分からず、または健全な距離感を「遠い」「寂しい」と感じて、相手に自分のすべてを分かってもらおうとすることのようです。

考え方としては分かるけど、実は私自身もニコイチ的考えを持っていて、「これ、本当に悪いことなの?」と感じてしまう部分もあります。

同時に不健全であることも分かります。難しい。

自分とまったく同じ人はいないから、完璧に自分と同じ価値観の人もまた、存在しない。

だから「すべてを分かって!」と迫られても「無理です」と答えざるを得ない。

……けどその距離感が、以上に遠く感じるというか。

仲良くなったら相手の全部を「わかるよ」って言わないといけない気がしたり。
だから友人を作ることに高いハードルを感じているのでしょう。

そして適切な距離感を学ぶ必要がありそうです……。

とはいえ「ニコイチ」の概念を知ることができたのは、私にとって大きな収穫だと思っています。

自分の価値観を理解しないと、変えることも気付くこともできませんから。

「相談」はハードルが高い!

第2章のはじめに「相談はなぜ難しいのか」というセクションがあります。

見出しだけ読んだ私は「相談? これはできてるな」と安易に考えたのですが、読み進めてみるとそんなことはなかった。

まず私は誰に・どんなことを相談するかをとっても考えます。

結果的に、いちばん深刻な話は切羽詰まるまで、あるいは逃げ場がなくなるまで誰にも言わなかったりする。

なぜかというと、批判されたり、怒られたりする気がするからです。

つまりは人を信用できていないのでしょう。

だから「事態が収束してから、事後報告しよう」と考えたり、自分でなんとかしようとしたりします。

いざ相談しようとすると、「でもこれって、人に打ち明けるほど重要なことなのかな?」と考えてしまうのです。

とはいえ今回、こういうやり方をする人が自分だけではないと分かったことが、大きな収穫になりました。

(事後報告を肯定する意図はありません)

また、同じセクション内で収穫がもうひとつ。

だから”相談の練習”を、相当な時間をかけてやりました。簡単な連絡や報告の練習。それから、ハウスではみんなに「世間話の練習をしなさい」なんて言っていますが、……
(75ページより抜粋)

ここを読んだ時に、はっとさせられました。

私は世間話や雑談が苦手なのです。

そうか、相談て、世間話や「他愛ない会話」の上に位置する難易度なのか。

じゃあ、雑談が苦手な私にはなんてハードルの高いことだったんだ。

ある意味、できなくて当たり前。練習が必要なことだったのか。

びっくりすると同時に、「できなくてしょうがない」と思えたことで、「じゃあ練習しよう」とポジティブな転換もできつつあります。

生理と上手くつきあうには

第3章は「生理のあるカラダとつきあう術」と題されており、一章まるまる生理の話題です。

上岡さんが運営する「ダルク女性ハウス」は、女性専用の施設だからでしょう。

ホルモンの影響といわれていますが、生理前に気分が落ちこんだり、小さなことにとらわれてイライラしやすくなる人は多いようです。

それが生理が始まると、なんでもないことに思えてくる。うんうん、分かる。

それをどう付き合っていけば良いのかを、ダルク女性ハウス内のグループ「なまみーず」が研究した結果がまとめられています。

依存症に悩んでいても、いなくても、月経前症候群がひどい人に役立つ話だと思いました。

気分が落ち込んでくると「もうすぐ生理かも」なんていう考えも浮かなばくなり、自分の気がかりの原因が全部相手や出来事のせいになってしまいます。

余裕がなくなるのです。

だから自分の体調やリズムを把握しておくことは大事。

それを改めて確認する良い機会になりました。

体のメンテナンスができていない

いよいよ何もできなくなって気分障害と診断されるまで、私は自分の限界を知らなかったと今なら分かります。

「無理しないでね」と声をかけてくれる親切な人が身近にいましたが、「私はまだ大丈夫だよ、何言ってんの?」と思ってました(とんでもなく失礼)。

ところが動けなくなってから、自分が限界を超えて動き回っていたこと――言い換えれば、休み方を知らなかったことに気づかされたのです。

本の中に「メンテナンス疲れ」というセクションがあり、そこを読んでいる時に自分の通ってきた状態を改めて振り返らされました。

薬やお酒で感覚を麻痺させていたわけではないけれど、体調や体の具合に鈍感だったなぁ……と。

トラウマを深く話すことは解決にならない!?

231ページに、コラム「トラウマは深く話しても楽にならないし、解決もしない」が載っています。

タイトルを見た瞬間、衝撃を受けました。

「え、そうなの!?」

話せる人を見つけて、話して、話して、何か助言をもらって……。

それを繰り返していくことが、いつか解決に繋がると思っていたからです。

でも、ちょっと違うらしい。

本を通して分かったのは、トラウマの話し方が大事ということ。

「いついつにこういうことがあって、辛くて……」ではなくて、今、それをどう感じているか。

当時を思い出した今、どういう感情を抱いているか?

過去の記憶を振り返るより、現在の感情にフォーカスすることが大事なようです。

その発想はありませんでした。目から鱗です。

同じ話を繰り返しても良い!?

同じくコラム「同じ話を心の中で落ちるまで話せ」が掲載されています。

これも、前述の「トラウマは話しても解決しない」と同じくらい衝撃的でした。

コラムによれば、自助グループ内ではいつも同じ話を繰り返しているのだそうです。

そして、それが心の整理に繋がる。

概念としては分かるけど、「同じ話をしてもいいよ」と言われる機会が今までなかったので、まったく新しい考え方に見えました。

自分が記憶力が良くて、「この話、前も聞いたな」と思う機会が多いからかもしれません。

知っている話を何度も聞くのを苦痛に感じてしまうのです。

だから、「あ、この話前にもしたな」と気付くと、その人の前では話を端折ったり、「ごめん、前にも話したんだけど……」と前置きして簡単に済ませたりする。

けれど私のやり方とは反対に、同じ話を繰り返すことを推奨するグループもあるらしい。

確かに、悩んでいる時ってほとんど常に悩みについて考えているから、ある意味頭の中で「同じことを話し続けている」状態といえます。

それを合意の取れた場で、口に出すことは、頭の中で話すか、口に出して話すかの違いくらいしかありません。理にかなっていそうです。

テレパシーで伝わると思ってる

最後の章の対談に出てきた話です。

これにも首がもげるほど頷きました。

上岡 聞き方がわからないということと同時に、私たちトラウマ持ちはね、テレパシーで話してるっていう感覚があるんですよ。
大嶋 伝わると思ってる?
上岡 そう、伝わると思ってる。解離のスイッチが自然に入ったり切れたりしてるでしょ。

テレパシー説、私もよく分かるので「解離」と表現されていてびっくりしました。

それ、解離なの? と思って。

イメージの方が先行して、それを言葉で補うように話すのですが、私にはイメージが見えているので、言葉足らずになることも多いのです。

けれど当然、相手にはイメージが見えていません。

だから私の足りない言葉だけで理解しなければいけなくて、上手く伝わっていなかったりするのです。

これを相談の時にやってしまうと、「分かってもらえなかった」という落胆につながることもあります。自分の語彙力の問題とは分かっているのですが……。

(中略)
上岡 私たちが仲間うちだけで話してるとね、なにか一つの単語で「そうそう、よくわかってくれたのね」とか、「そうだよね同じだよね」とか、まったく説明していないのにわかった気になっちゃう瞬間があってね。説明をなにひとつしないのに10人くらいが「それ私わかるわ」って言う。

ここには元気づけられました。

そうか、似た体験をした人ならテレパシーで通じるんだ。

というか、トラウマ体験を抱えているから、自分の体験になぞらえて相手の辛さに共感できるのかもしれません。

回復はゴールではない

回復とは回復しつづけること

これは本に登場する、見出しのタイトルです。

シンプルな言葉の中に、「回復」というプロセスの真髄が詰まっていると感じました。

うっすら気付いていたことではありますが、気分障害の症状に悩まされなくなることが「回復」ではないのでしょう。

それよりも、これを機会により良い生き方、自分が疲れを溜めずにすむやり方を身につけて、同じ状態を繰り返さないようにする。

疲れきる前に休む方法を覚える。

それが最終的にはいちばん重要なことではないかと思うのです。

けれどそれを「回復」と呼ぶのなら、回復はテープを切ったら終わりのようなゴールではなくなります。

生き方は延々と変化させていけるものだから、終わりがなくなるのです。

代わりに、より良い方法を探し続けていく人生そのものに変わる。

特定の「ゴール」「終わり」を求めていたら、果てしなく感じてしまうかもしれません。

現に気分が落ち込んでいると、「終わり、どこよ……」と呟きたくもなります。

でもポジティブな時は、「もっと身軽な生き方がありそうだ」と思えることが、プラスの動機付けになるのです。

克服でも回復でもなく「より良い変化」を目指していけたらいいのかなと思います(^_^)


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