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時間通りに出発できないけど集合時間には遅れない方法

ども。翔です。


最近、ほぼ毎日ヨガを続けてます。

1ヵ月っていう期間を決めて、「毎日ヨガをする習慣づけをしよう」っていう試みをしてるんです。
今のところ、順調に続けられてます。

「夕飯作らないチャレンジ」の成功体験のおかげかな。


俺たちにとってヨガでゆったり体を伸ばすことは、肉体を感じることに役立ちます。
自分の体はどこからどこまでの長さ・大きさなのか。
このポーズでどこの筋肉が伸びるのか。
そもそもこんなところに筋肉あったんだぁー。

気を抜くとあんまり体のことを意識できないでどこかが凝ったりするから。
自分の体に意識を向けて「今、ここ」に集中する良い練習になるんです。

俺はYouTubeの動画に合わせてヨガをするので、集まりとかで規定された時間や場所の枠とか、ヨガ友達とかは特にいません。
ヨガマット敷いて、端末の電源つけて、動画を再生する。

そこにはなんの強制力も働かず、頼りになるのは自分の意思だけ。
ヨガをやる、毎日続けるっていう意思。

前の俺ならこんなに毎日続けられてなかっただろうなって思います。

自分たちとの約束がね、守れなかったから。

運動が好きなのは俺くらいで、他のパーツはもっと肉体感覚が薄かったり、「今ここ」が危険に感じられて集中できなかったりして、ボディワークを継続するのが難しかったんです。

「ヨガをやる」って決めた俺が、毎日その時間に都合よく表に出ているわけでもないから、他のパーツが何かしらの理由をつけてスキップして、「やらない」ことの方が習慣になっちゃったりして。

「毎日何かを続ける」っていうのは決意であると同時に、自分との約束ごとでもあると思っています。

毎日何かをするっていう約束を、自分と自分とのあいだで交わすイメージ。

そう捉えると俺たちは、自分との約束を守れるようになってきた――つまりは、少しは自分たちのことを、約束を守るべき、価値ある相手として見られるようになってきたのかな。


約束といえば時間も、一種の約束事だよね。

時間を守れない俺たち

決められた集合時間を守れることは、「ちゃんとした人である」ことの評価のひとつになったりする。

時間に厳しい部活に入っていた時期があるのも手伝って、俺は今まで集合時間に遅れたことがほとんどない。

……けど、「この時間に家を出よう」と予定してた時間はよく過ぎちゃうんだよな。

実は、これは昔から。

時間を逆算して行動することが苦手。
親に「〇時に出かけるよ」と予告されると、その〇時になってからバッグに荷物を詰めはじめるような子どもだった。
出発時間を5~10分遅らせるからよく怒られてた。

このことはつい最近まで忘れてたんだけど、この間友達を待たせちゃった時に思い出したんだよね。
「これ昔もやったわ」って。

今は安心安全な環境にいるからか、だんだん警戒とか、「ちゃんとしなきゃ」って頑張ってた部分とかが取れてきたんだと思ってる。

「時間になってから準備するのが俺だったな」って思ったら、なんかやわらかい気持ちになった。

友達は俺のことよく分かってくれてて、出発時間を余裕をもって見積もり伝えてくれる。

うっかり待たせちゃった時はめっちゃ謝ったけど、友だちにとっては想定の範囲内だったみたい。天才すぎ。

時間に遅れない俺たち

そんなふうに、出発時間になってから準備を始めちゃう俺だけど、部活、飲み会、バイトの集合時間に遅れたことは1度もない。
自分の特性を分かって、ちょっとした仕掛けをしているからだ。

単純なんだけど、待ち合わせ場所への到着時間を、集合時間の30~20分前に個人的に設定する。

すると仮に家を出るのが10分遅れても、集合時間の10分前には待ち合わせ場所に立っておけるわけだ。

うまくいって30分前とかに着いちゃうと、空白の待ち時間が発生するわけなんだけど、「焦ったり遅れたりするストレスよりいいよな」と思って、バッグに忍ばせた本を読んで待つことにしてる。

直す→自分がラクなやり方を見つける

時間を守れない俺はダメだとか、守れるように自分を矯正しなきゃとか考えて自分を追い込んだ時期も長かったけど。
時間の逆算は物心ついた時から苦手なことで、きっと俺の直らない癖なんだろう。

だから直そうとするんじゃなくて、上手く付き合っていく方法を編み出した。
これはある視点から見ると怠惰だろうか、逃げだろうか。

でもそれでいいんだ。

俺は俺が心安らかに生きられる方を選ぶことにしたから。





画像はPixabayからお借りしてます。

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