「小心者」なのは来世のため??
自分は「小心者」だ、というのは先週の記事でも触れた。
ここでいう「小心者」は世の中の定義と若干異なる。
一般的には、①気が小さく臆病で、人目を気にする人 ②思い切って行動することが苦手な人 ③細かいことまで気にしすぎる人、のことをいうらしいが、私に関していうと、あてはまるのは③のみだ。
①②とは正反対で、やることなすこと、考えることまで、物事を大きくみて行動するのが大好き。なので、正確にいうと、小心者ではない。それでも、気の大きさのなかにある自身の③の特徴が鮮明で、コミカルにみえてしまう。
そもそも大雑把な私が、なぜ細かなことまで気にしすぎるのだろう?
根底には、因果応報という概念を心から信じている、というのがある。
悪行とまではいかなくても、人に対して失礼な振る舞いだったり、言動、態度で接した場合はいつかそのまま自分に返ってくる、と本気で考えている。
“Treat others how you want to be treated.”
(自分がそうしてほしいように他の人に接しなさい→自分がされて嫌なことは相手にもしないこと)
という教えを子供の時から聞いて育った。
簡単に言うと、悪いことをしたらバチが当たる、ということだ。
実際、人生で、「あー、あの人は、ああいうことをしたからバチが当たったんだね」みたいな出来事は結構みてきた。ブーメランは必ず戻ってくる。
私自身も、清廉潔白、品行方正な人物とはいいがたい。人の心を傷つけたこともある。
何年後かに、傷ついた側の痛みがわかり、後悔というか懺悔したくなる気持ちにもなった。
そして嫌な事が起きると、過去を振り返り、あの時のKarma(カルマ=業)のせいではないか、とか悩んでしまう自分がいる。
私がいう「小心者」である原点は、もう人生で傷つきたくないから、良い人でいよう!ということなのかもしれない。
結果、人に気を遣いすぎてしまう。
ただ、難点が一つ。
元来私は気性が激しい。仏のような心を持つほど人間できていない、相手から攻撃を受けると、自分も反撃してしまうのだ。
売られた喧嘩は買ってしまうタイプだ、笑。
そして、同じように、相手から苦手と思われたら、自分もその人を苦手と感じ始める。嫌われたら、嫌ってしまう。
まさにミラーリングだ。
残りの人生のため、もしくは来世のために、カルマを意識しながら、挑発に乗らないようにグッと感情を抑える。
”So don’t hate me.”(だから、私を嫌わないで)
こう心で叫びながら。
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