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 名称の設定には注意が必要なことぐらい、プロの小説家ではない私でも、理解できることだ。かつて、ある漫画家が、彼の漫画に、彼が考えた架空の名称の企業を登場させたことがある。ところが、その名称を持つ会社が実在していたので、彼は謝罪した。これも、他山の石として、私は記憶している。

 そんな私が書いている小説の舞台になるのは、架空の学園である、愛国者学園だ。この話を書き始めたとき、私はそれを「愛国学園」にしていた。だが、ある時、愛国学園という名前の学校が実在するのではと思い、ネットで検索したところ、千葉県市川市にそういう学校が実在していることがわかった。もちろん、私が描いているような学校とは異なる学校である。私は実在の愛国学園について、その存在や名称をとやかく言うつもりはない。

 実在しない学校の名前を考えることも容易くはない。愛国者を育てる学校だから「愛国者学園」だと、私は考えた。だが、その後、「愛国心学園」の方が良かったのではないかと悩んだこともある。愛国心を育てる学校というのも、言葉としてはおかしくはない。

 愛国者を育てるから、その略号を「愛国」とする。「愛国」と聞いて、鉄道好きの人なら、北海道の幸福駅と愛国駅を思い出すだろう。今は廃止されたそれらの駅は、その名前から人気を集めた。「愛の国から幸福へ」ということで、愛国駅から幸福駅への切符、それも、今では珍しい、硬い紙で作られた切符が飛ぶように売れたそうだ。画像検索すると、その切符の画像がたくさん出てくる。硬い紙の切符がなつかしい。

 また、ネットの検索結果から、芹陽子(せり・ようこ)という歌手が歌う、「愛の国から幸福へ」という歌も存在することを知った。「愛の国」なら素晴らしいけれど、「愛国心」を押し付けるような学校は怖い。小説の設定には十分な注意と下調べが必要だと、私は感じた。

大川光夫です。スキを押してくださった方々、フォロワーになってくれたみなさん、感謝します。もちろん、読んでくださる皆さんにも。