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愛国者学園校歌が流行した      愛国者学園物語10

 この校歌は大いに受けた。

 多くの日本人至上主義者からも気に入られ、口ずさむ人は少なくなかった。子供たちがこの校歌を歌う動画を見た、有名なタレントが目を潤ませて可愛い、と評したとたん、愛国者学園の動画アカウントにアクセスが殺到したという。


 この歌のファンは増え、学園に関係のないイベントや勉強会などでも、これを歌う人々が出現した。そして、愛国者学園もそういう人たちに感謝し、新しいネットワークを作っていった。動画サイトには、この校歌を歌う老若男女の動画があふれた。ある高名な歌手もこれを歌った動画を投稿し、その歌唱力が絶賛された。


 学園の子供たちが、修学旅行で伊勢神宮のそばを歩いていた時のことだ。

 彼らの姿を見つけた老人の一団が彼らに手を振り、近寄ってきて盛んに握手を求めた。まるで祖父母と孫たちの交流のようなそのひととき、ある老人がこの校歌を歌い始めると、他の老人たちも自分も歌うとばかりに声を張り上げ、子供たちもそうした。やがて、みんなでその9番を歌い終えると、みんなで拍手し笑いあって、別れたという。


 こういうことは珍しくなかった。例えば、学園生が外出や修学旅行に行くと、彼らに手を振ったり拍手する人に混じって、愛国者学園校歌を歌う人が必ずと言って良いほどいた。時には、それが自然発生的に大合唱になり、それを喜んだ学園生たちが涙したこともある。こういうわけで、愛国者学園校歌は、学園の存在を日本社会に刻み付ける有力な武器となった。

 それは、愛国者学園とそのコピーの勢力拡大を大いに助けたが、彼らが増殖した理由は愛国的な校歌だけではない。


続く


大川光夫です。スキを押してくださった方々、フォロワーになってくれたみなさん、感謝します。もちろん、読んでくださる皆さんにも。