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 「なるほどねえ、難しい問題ですな」


8月15日から数日が過ぎた金曜日の夕方。美鈴たちは7回目の会合のために、またあの焼き鳥屋に集まった。


 前回から少し間が空いたのは終戦の日とお盆などをはさんでいたからである。だが、ホライズンの一員である美鈴はまだ夏休みを取ってはいなかった。それよりも気になること、つまり西田との議論が気になって仕方がないからだ。休みを取るのは議論の後でいい。


 その一方で、元気のなさそうな西田は、自分にはあまり進展がなかったので美鈴さんの話を聞かせて下さいとだけ言った。そこで美鈴は桃子叔母から聞かされた、

愛国心の桃子流の解釈

を話した。最初は、3つの行いとでも言える考えで、一つ目が憲法に書いてある国民の3大義務である労働、納税、それに教育の義務を果たすこと。二つ目が、社会への善行。それに三つ目が反社会的行為の禁止。それらからなる3つの行いが、桃子の考える愛国心だという話をした。


 また、海岸のゴミの清掃すら、桃子は愛国心からしている行動だと思っていること。そして、

「美しい国土を守ることだって、愛国心じゃないの?」

という桃子の言葉に、美鈴は100%同意出来なかったことを挙げた。ゴミ拾いが愛国心のすることだとは思えなかったからだ。果たして、桃子がしていることは愛国心がなしたことだと言えるだろうか?

 だから、西田から

「叔母さまの考えか、うーん、なるほどねえ、難しい問題ですな」

という返事が返ってきたとき、やはり自分の疑問は間違っていないのだ、と思えた。



 「では、例の課題の話にしましょうか」

「はい」

そう答えた美鈴の顔が固くなった。

二人が最初に取り上げたのは、

「愛国心の定義とは」

だった。

彼らが目を通した辞書には、それが「国を愛する心」などと書いてあったが、もっと具体的にそれが何を表すのかは書いてはいなかったのだ。


 二人の答えは一致していた。

「愛国心」は、必ずしも国民が祖国の軍隊に参加するような軍事的な行動や感情だけにはとどまらないはずだ。軍隊への参加によって祖国防衛を行うことは、愛国心の一部でしかないのではないか。

 なぜなら、愛国心の意味は「国を愛する心」というだけで、それ以上に詳しい定義を決めることが困難だからである。また、桃子叔母が言うように、郷土の清掃も、国民の義務の履行(りこう)も、祖国を維持する上で大切なことだから、愛国心をもとにした具体的な行動として成り立つと考えられる。

 だから、愛国心イコール軍事ではない。軍事行動への参加はその一部でしかないと言えるだろう。



 二つ目は、政府が国民に愛国心を教える必要があるのか。あるいは、国民が自ら子供に愛国心を教える必要があるのか、という問題だ。これに対して、政府が愛国心を教える必要はない。なぜなら、愛国心が具体的に定義出来ない以上、それを教える必要はない、というのが美鈴たちの答えだった。また、愛国心イコール軍隊への参加、あるいは祖国の軍隊の絶対的な支持を意味するなら、それは政府が軍国主義を煽っていることに他ならない。政府が平和は大切だと主張する一方で、愛国心イコール軍国主義を叫ぶのは矛盾ではないか、と二人は考えた。


 ここで、美鈴たちの意見は別れた。

 美鈴は、教育の場で、若者に軍隊への参加や軍隊の絶対的な支持を求めること。また、軍事行動をよしとする考えを教えることは間違っていると考えた。だが西田は、その逆で、政治の一つの手段としての軍事を教えるべきだという考えだった。そのかわり、美鈴と同じく、若者に軍隊への参加や軍隊の絶対的な支持を求めることはすべきでないとした。その理由として、軍隊への参加などは個人の意志の結果であり、政府や教師が若者にそれを求めることは強要になるから、それはいけない。そして、民主主義社会では国民は軍隊に反対することも許される。だから、教師が若者に軍隊の絶対的な支持を求めることはすべきでない、個人にその判断をまかせるべきだ、とした。


 美鈴は、民主主義社会において、国民は自国の軍隊や軍事政策に反対することが許されるという考えに同意した。振り返れば、この点が愛国者学園と異なるのだ。彼らは、日本の国民は軍隊やその軍事政策に賛成することが当然であり、反対する人間は反日勢力だと言うのである。その言動には民主主義のカケラすらない。それは自分と意見が異なる人間は反日勢力、つまり敵だという、あまりにも軽薄でかつ侮辱的な物言いであった。


 二人は自分たちの意見がまとまったことに満足した。次は3問目だ。それは、「なぜ、今、2022年の日本社会において、日本人に愛国心教育が必要なのか?」

だった。美鈴たちは設問の後半については後回しにして、まずは愛国心教育が必要なのかについて考えることにした。

美鈴も西田も、今2022年の日本人に愛国心教育が必要だとは思わない、という立場で一致した。

 愛国心とは何か、具体的に何を若者に教えるのか、それを決めなければ、この教育が必要か否かという問題を解けない。しかし、その問題の答えがたくさんありそうなことは事実であり、それによって、若者に何を教えるのかが決まる。それに、実際にどの児童や学生にどれくらい、愛国心の教科を教えるのか。1年に何時間ぐらい、教師はそれに時間を割かねばいけないのだろう。日本人至上主義者のとりでである愛国者学園ですら、その教育の全てを、愛国心を教えることに割いているわけではない。彼らですら、文部科学省の学習指導要領に従っているのだ。


 話を少し戻すと、日本人至上主義者たち、特に愛国者学園は彼ら自身が公開した資料で、愛国心教育が日本人に誇りを持たせ、反日勢力による侵略から日本を守る防波堤になると言う。また、彼らは愛国心こそ日本人の心の基礎であり、それがない人間は日本人ではなく、反日勢力であると言う。そして、祖国日本を守るために、軍事こそが全てであると彼らは主張している。


 そんな彼らが今の時代に激しく愛国心を叫ぶのは、国際情勢が緊迫しているからだ。日本の周辺諸国は軍備を拡大しつつあり、彼らは活発な軍事行動をしている。それに日本の国境では、尖閣諸島や北方領土に代表されるように、外国との領土争いがあり、それはそう簡単に解決しそうにはない。そして、外国の軍隊や沿岸警備隊の船、それに航空機が毎日のように日本の領空や領海に侵入している。それはまるで戦争の前のようだ。もし台湾海峡危機が起きれば、日本も無関係ではいられまい。だから、日本人至上主義者たちは盛んに日本の軍備増強を唱える。


 しかし、その言動は攻撃的であり、軍事だけが唯一の解決方法であるかのように主張することは事実だった。

それどころか、彼らの中には核兵器の保有すら求める人間たちまでいる。

日本が核を持てば外国は日本を攻撃しないと主張しているのだが、果たしてそんなことがありうるのか。



 美鈴たちは日本周辺諸国の情勢の悪化は認めつつも、軍事だけが唯一の生きる道という日本人至上主義者たちには決して同調出来なかった。戦争を防ぐにはまず外交が重要であり、軍事はその次で良いのではというのが、美鈴たちの考えであった。だから、日本人至上主義者たちが言う、今、愛国心教育が必要だという意見にも賛成出来ない。彼らの言う愛国心とは軍事であり、外交ではないからだ。そう主張する彼らは、愛国心教育で日本人の外国に対する怒りを煽っている。そう思う美鈴たちだった。


続く
これは小説です。



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