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2021/09/12

朝起きたら高校の部活動のLINEグループが動いていた。
陽気な男子が写真を貼り、楽しそうな会話がされていた。
なにやら合宿で立ち寄ったサービスエリアに久しぶりに行ったという報告。
高速教習で合宿の時に使った、右にも左にも山しか見えない場所に行くことは考えにくいから、多分旅行で行ったんだろう。
やたらと明るさを上げられたその写真には、細い雲と並んで、彼と一緒に行ったのであろう知らない女の人も写っている。
「めっちゃ懐かしくない?」
「ほんとだ」
「懐かしすぎて泣きそう」
写真の風景が全く記憶にない私は、その懐かしさを共有できなかった。
そもそもあのグループで私はいなかったことになっているけれど。
同じ部活のメンバーで卒業後にやり取りと言えるやり取りをしたのは3人だけ。
その3人はいずれも女子部員で男子はいない。
元々男女間に亀裂があり、そして女子の中でも浅い亀裂があった。
私がそこで乱立した全ての集団に身を置かなかったことに起因する結果かな。
特別嫌ではないけれど。
仲良くしたい人と積極的に関わっていたらそうなっただけのこと。
なおもノスタルジーに浸る会話を無視してスマホを置いた。


ギターの弦を張り替えに行った。
雲の色が濃いグレーで雨が降りそうだったので、母親の運転する車に乗せてもらった。
ターミナルの近くの立体駐車場を上へ。
ぐるぐる回る景色の中に、大学の方向へ向かう列車を見た。
列車から毎週見ていた景色。
確か最後に見たのは1ヶ月前のオレンジ色をした入道雲。
ぼーっと眺めていたら、少しずつ大きくなっていてびっくりしたっけ。
もうすぐまたあの景色を見るようになる。
マンションや一軒家の並ぶ住宅街を挟んでそびえる、遠くのビル群の上に浮かぶのは、入道雲ではなく筋雲に変わる。
車窓越しに見るその景色は、全ての感情を無くしてしまうのだと思っていた。
けれど多分そうじゃない。
色んな感情を起こして、全て混ぜてしまっていたんだ。
思えば春夏学期は、じんわりして寂しくて暖かな幸せと、唐突で充たされた冷たい終わりを経験していた。
そんな目が回りそうな日々を過ごしていたのだから、喜怒哀楽では言い尽くせない感情を抱いていたのも合点がいく。
「無」と「全部」って意外と似ているのかも。
列車に揺られながら、私の持つ全ての感情を平等に解放して、色々と考え事をしている。
その時の心象には全ての感情がブレンドされていて、決して無心でいるわけじゃない。
日記を書いているときも似たような感覚になる。
無心で綴ったり、どれか1つの感情に心を委ねたりするのではなくて、全ての感情をパレットの上に絞って、適宜混ぜながら白い画面上に文字を載せていく。
そんなことを考えながら、私の心を揺さぶる景色の一部を見ていた。

1000円ほどかかると思っていた弦の張り替えは300円もしなかった。
嬉しい誤算。
その後はラーメンを食べて、買い物をして帰宅した。
帰ってからギターを改めて見ると、ヘッドの部分の加工が少し剥がれていた。
演奏する分にはなんの支障もないだろうけれど、悲しかった。
もうちょっと大事に扱わなきゃ。
傘にぶつけた時かな、あるいは車に乗せたときか、はたまた張り替えてもらってる時......?
「考えても仕方ないか。」
気を付けようと肝に銘じつつ、買ってきたモンブランを食べた。


FPの教本を読んでいた時にふと思った。
私はアブストラクトナンセンスを課題曲に設定してギターを練習している。
後輩は好きな曲を練習するのが継続するコツだと言い、私の選択を支持していた。
バイト先の同僚は「土曜までにCコードを弾けるようになれよ」とか「ギターを見せてくれ、良いのかどうかを査定したい」と言う。
別の友人は「さすがにコード進行からやった方がいい」と言う。
どっちも正しいと思うけれど、後者の2人は好きな曲を好きな時に好きなやり方で練習したい (=完全に趣味の範疇で勝手に楽しみたい) という私の意思は汲み取ってくれているのだろうか。
そこには「頼まれていないのに教えようしすぎる」という問題があると思う。

前にボウリング場での教え魔が話題になったことがあった。
そこからずっと心にあった。
難しい問題だと思う、教えてあげることは何も悪いことではないし、良かれと思って教えようとしてくれるのだから。
それがありがたいことだってある。
けれど同時に教えを受ける側は断りづらいので、もし仮に聞きたくなかったとしても、泣く泣く聞くほかない。
本当は好きにやりたいのにとは思っても、相手に悪気はないのがわかっているから。
私は外から見て明らかに困っている時以外は、聞かれたら答える程度でいいと思っている。
答えすぎにも注意していて「そこまで聞いていないよ......」と思われないため、「結局どうすればいいんだっけ?」とならないためだ。(塾講師で学んだスキル?)

だけど私には、潜在的に困っている人が救えなくなる。
私が教えられるのは、教えられる準備がしっかりできている人だけになる。そうでない人は「教え魔」の方なら救えるはずだけれど、私は素通りしてしまうことになる。
「教え魔」の人たちは優しい人 (あるいは知識を披露して悦に入りたい人) が多いだろうし、言ってこない人は救えなくても仕方ないと考える私は、彼ら彼女らの目には少し冷たく映ると思う。
正解はないと思うし、1番良いのは教えられた時にちゃんと断れることだろう。
けれど私はなかなか断れないし、そういう人が多いから話題にもなった。
どうすればいいんだろうなあ。
とりあえずニコニコ笑って「ありがとう!やってみる!」とだけ言いつつ、後輩を頼ることにしようかな。
「ギターのことは後輩」と私の中で相場が決まっているし。


夜、家族が寝床に向かう頃、私は昨年度の共通テスト数学IAを解いていた。
私が受験したころはまだ「センター試験」だったので、何が変わったのかと少しワクワクしながら解いたのだが、正直なところ見てくれが変わっただけで、中身はほとんど変わっていなかった。
これを「形式が変わったから」点数が振るわなかったというのは完全に言い訳だなと思う。
試行調査の時はもっと「お~結構変わるんだなあ」なんて思っていたのに。
勝手にがっかりした。

そしてその1時間後には、自分の錆の付きようにもがっかりした。
さすがに式の計算や資料の読み取り、数学Iの図形問題は解けたが、確率は計算ミスが多発して満点を逃し、整数は記憶から少し抜けていて最後の問題群は全く歯が立たず。
特に数学Aの図形は情けないほどにできなくなっていた。
「大学来てから図形問題にほとんど触れてないし、腕がなまるのも尤もか」
なんて言い訳を言うことも憚られるひどさだった。
戦慄。
私はなんてものを講師資格試験に選んでしまったんだ......。
絶対英語の方が良かったなあ。

なんて言ったって仕方なくて。
とりあえずは自分で選んだせいなので、カタをつけなければいけないな。
このフレーズもユニゾンから頂いた。
後悔をする時間と頻度が減る金言。
現実的かつ具体的なメンタルケアに関してはユニゾンに足を向けて寝られないな。
まだ未読の問題リストには数学IIBが残っている。
高校入試数学も平年よりもかなり簡単だったとはいえ、決して易しくはない。
そして今解いた数学IA。
この3体の強敵に対して90%の得点率をマークしなければならない。
数値替えが無いことに加えて事前に問題が開示されているとはいえ、しっかり腰を据えて対策を取ろう。



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