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2023/06/08 抹茶が飲んでみたい

 one secというアプリのproを購入した。

 簡単に説明すると、事前に指定したアプリを開こうとすると6秒間(調整可能)強制的に待たされるようになるアプリ。スマホ依存に対処するためのアプリだ。
 私はこれの無料版を使っていた。無料版はアプリ1つまでだけど、それでもかなり効く。スクリーンタイムのように締め出されないので緊急時の使用は可能。ただあちらと違い完全に禁止されるわけでは無い分、待たされることがストレスになる。私はTwitterに制限をかけていたけど、劇的に見る機会が減った。「なんか手持ち無沙汰だしスマホでも見よ」が無くなる。
 こういったアプリの常として「自分で解除しないだけの忍耐/目的意識/あるいは記憶力の無さが必要」という条件さえクリアすれば、個人的にはスクリーンタイムより全然効く。

無料版を使っていた期間の効果。proで待たされる時間を10秒に伸ばしたら、マジで見るのが面倒になりほとんど開いていない。

 これは良いと思い、6000円と高額だったが思い切って買った。間違いなく6000円以上の価値がある。明日には記憶から消えるような薄い時間を削り、より充実した時間を過ごせるようになる。これは確信だ。
 時間の使い方も見直される。ネットサーフィンの時間を無くせば、これだけ空き時間があったのか。じゃあこれやろうかな……って。歯医者さんで歯垢をピンク色に染めるアレみたい。「うわっ…こんなに汚れてたのか……」ってなるやつ。

 今私はLINEやTwitterの他に、SafariやHoYoLAB(主に原神の二次創作を見る)、もちろんnoteも制限している。暇な時に開きがちな全てに制限をかけた。スマホ見るか〜と思って開いても、その後どこに指を置いていいか逡巡するレベル。
 LINEに関して、電話は応答可能だが、音量が小さくなるという欠点があった。またこちらから1秒でも早く連絡をしたい時は待たされてしまう。あるいは解除の手間がかかる。(冷静になる時間をくれるとも言える。)
 また、デフォルトで対応しているアプリ以外を制限するには、ちょっと手間がかかる。(そしてそれは全て英語で書いてあるので、平易だが読めない人は読めない。)
 しかしそれら気になる点を抜きにしても超有用。

 無為にスマホを触る時間を減らして、もっと楽しいことをしよう。記憶に残るような生活をしよう。

謎の救世主登場!

 大学院でデータ分析を学んだ人たちとの交流会があった。わざわざ朝早く起きて参加しただけあり、なんかすごい人たちが喋っていた。
 そこにはゼミの教授の姿もあり、zoomでチャットが飛んできた。ゼミの全体LINEに流しておいてくれとのこと。可哀想に。私はみんなみたいに「お疲れ様です!今こんなのやってて〜」みたいな流し方はかったるいのでしない。「こう言われたので流します。こんなイベントです。これzoomのURLです」以上。絶対広告業界とかには就職できない。
 こんな適当な流し方でも、参加人数は増えた。結果オーライということで、許して先生。

 その中に海外の大学で勉強していて、今帰ってきている人がいた。私はゼミの先生にその人と繋いでもらい、研究計画書を添削してもらえる運びになった。ラッキー。
 目上の人に気に入られる才能ゼロの私にはとてもありがたい。同じゼミにいる私より進捗がまずそうな人はどうするんだろう。人脈パワーでブーストしたのかな。早めに教授の人脈を作っておいてよかった〜。でなきゃ今頃は、返事ができずに床に転がってるカルシウムになってた。

 その人からさっきメールが来た。その人が提出した研究計画書が添付されていた。驚嘆。すごく洗練されて読みやすい文章。必要不可欠なこと以外は何も書いていない。よく読んだら自分の研究が参考文献に書いてある。学部生の時点で既に1本論文書いてたのか。バケモノじゃん(褒め言葉)。
 章立てて良いというのは初めて知ったことだったけど、これを読んで寄せれば私もいよいよマトモなものが書けそうだ。ちょっと希望が見えた。いよいよ勝負が迫ってるんだなという実感も湧く。
 「そこまで来といて言い訳して辞めるんだったら最初からやるなよ!」と未来の自分に怒られないよう、精一杯を尽くします。

人工衛星

 ユニゾンの23:25に「帰ろう世界へ」という歌詞がある。電車を待ちながらそれを聞いて思った。

 「果たして私はこの後、世界に帰れるんだろうか?」

 およそ2ヶ月、義務的なものを除いて誰とも会わない生活が続いている。頑張らなきゃいけない時期だから仕方ないけど、何となく世界から切り離されたような感覚がある。趣味の時間は十分とっているし、家族ともたくさん会話があるけど、それでもどことなく浮いたような感覚になる。実際は社会の枠組みの中にしっかり置かれてるはずなのに。逃れられるはずもないのに。
 とても楽だな。こんなに人と会わなくても生きていけるんだ。と思うと同時に、こんなに楽でいいのか?将来の楽を前借りしてるだけじゃないのか?という気持ちもある。

 社会から隔絶されたかのような、この感覚はまるで無重力。開放的で、無防備で、心地良くて、心許ない。

 周りはすでに次の世界に行く準備を終えた人がほとんどのなか、私はまだ次の世界がない。
 周りが当たり前に所属しているコミュニティがあるなか、私は個人主義者を選択した。
 周りが寄り合って互いに価値を測るなか、私は価値を認められない。
 周りが「今以上の幸せ」を望むなか、私は「これまでの平穏」を求めた。
 周りが世界の良いところに目を向けるなか、私はカウンター要素なしに肯定ができない。

 至極真っ当な孤独感と、双子の奇妙な特別感。それ故の絶望感と全能感が入り混じっているのが無重力の正体なのか。

 そういった差や選択が、積もり積もって檻となり、隔絶した感覚を生み出しているのかも。考えれば自分から距離をとって浮かんでいるんだから当たり前か。これは人工的な無重力なんだ。人工的に無重力空間まで飛んだんだ。
 「人のいいところを見つけるのが得意です!」と自己紹介してる人にかけられた二言。その二言が両方disだった。それがまきびしになって、地に足をつけることを拒んでいるのかもしれない。

 4年生という立場上、ゼミでは班のリーダー的役回りを期待されることが多い。ただ、私は周りの人に働きかける役回りが得意じゃない。
 「その後の関係性が不確定な他人」との関わり方を本当に思い出せない。どこまで踏み込んでいいんだっけ。どこまで自分を出していいんだっけ。
 仲を深めるコストを払うべきなのかが分からない。コストを払うとリターンが無いことに悲しくなるし、相手に提示できるリターンも私には無い。こうやって互いに利益を与え合うかどうかで人を判断しているのも嫌。
 断続的に会う関係なので相手のことが分からない。週1回90分だと私の知らない物語がありすぎて、相手のことが分からない。漫画を7話ごとに読むような心持ち。

 この状態から、大気圏に再突入できるのかな。途中で燃え尽きてしまわないかな。この無重力から、もう一度地に足をつけられるのかな。
 放っておいたらまた浮かんでしまう私。その重しになるものが、今やなけなしの倫理観と法律しか存在しないのに。

 まぁなんかなんとかなるか〜。試験が何とかなれば、あとのことはそれから考えれば良い。まずは試験を何とかしよう。ここで負けるわけにはいかない。

抹茶味って抹茶なのかな

 なんか春になると抹茶味のアレコレが増える。お菓子コーナーもパンコーナーも、深緑色に染まる。緑が濃くなるのって夏のイメージあるのに、スーパーに限っては春。
 個人的に今年の抹茶フレーバー選手権を制したのは抹茶パイの実。抹茶ラングリーと悩んだけど、やっぱりここはパイの実かな。Ninth Peel横浜公演の帰りに新幹線の中でバクバク食べてたくらいには好き。抹茶味の苦手な妹も気に入っていた。

 何となく抹茶味のパイの実は「抹茶」だった気がする。なんか微妙な苦味と甘さのある他のお菓子とは違って、しっかりお茶の香りがした……と思う。ちゃんとした本格抹茶を飲んだことが多分無いから分からない。なんで和歌山にあった小さな茶室に入らなかったんだろう。飲んでみたいな抹茶。ちょうどサムネイルみたいな静謐な時の流れる場所で。そして知りたい。抹茶味ってどこまで抹茶なんだろう?
 そもそも抹茶の定義ってなんだ。綾鷹は抹茶じゃ無いのか。前上品なお店でお茶菓子と共に出てきたアレは抹茶だったのか緑茶だったのか。そうだ緑茶ってなんだ。紅茶というものもある。紅茶と緑茶の違いは色なのか。なんか葉っぱは同じなんだっけ。いやそれは別の飲み物の話だっけ。色だと仮定すると抹茶は緑茶に包含される概念でいいのか。じゃあ「抹」ってなんだ。抹殺の抹ってなんか物騒。より細かくしたものを特に抹茶っていうのかな。

 そこまでにして視線を戻し、私はこの日3杯目のアイスコーヒーを飲んだ。

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