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2021/09/05

緊急事態。
ゼミの課題図書が想定の数倍面白くない。
いや、多分面白くないのは私の能力不足が原因で、つまりはそれと私の過信に原因があるのだけれど。
統計学と哲学を同時に扱うなんて、私には少し早すぎる......。
18ページで本を閉じてしまった。
夏休み後半。
恐ろしいボス戦が待っていた。


今日は何もしていないので、高校の時の思い出 (黒歴史) を。
あの時の選択のどの1つにも、後悔はみじんもないけれど、異様にねじ曲がって、ここまで来るのに遠回りをしてしまった原因はあの「幸せな日々」の中にあると思うので。
断っておきます、とーっても長いです。
でも、私はこれがどうしても書きたかった。
日記を始めたときから、いつか書くと決めていた。
別に面白くはないし、ありふれたエピソードだけれど。
以下、私が完全に自分を失くして没落する様子の振り返りと、そこから何とか抜け出そうとしている現在の私の思考です。



今日文化祭から帰ってきた弟は、カバンを置いて部屋着に着替えると、土産話もそこそこにすぐにヘッドホンをつけた。
音ゲーをやるときの彼の必需品。
ヘッドホンをしてなくても、彼は黙ってスマホを見ていることがほとんどで、まだ動物園の動物の方が幾分活発に動いている気さえしてくる。

そんな弟を見ていると、むかし自分がスマホ依存症になっていたのを思い出す。
私は高校2年の後半、完全にスマホに依存していた。
常に肌身離さずスマホを持ち歩き、授業中でも黒板よりもスマホを見ていた。
行き帰りのバスではスマホが見たくて友人と行く時間をわざとずらし、帰宅後はLINEにかじりつき、友人と日付が変わるまで雑談。

朝起きて最初に見るのはスマホ。
寝る前に最後に見るのもスマホ。

生身の人との会話で交わした言葉よりも、LINEのメッセージで交わした言葉の方が多かった。
さすがにテスト期間はセーブしていたが、それでも通知が鳴るのを今か今かと待っていた気がする。

ソシャゲにハマっていたわけではない。
私はスマホゲームにあまりハマってこなかった。
ハマってもすぐに飽きてしまうことがほとんどだった。
ソシャゲのログインボーナスやスタミナの回復に、自分の時間が支配されることに耐えられなかったという理由がある。

でも、ソシャゲに縛られるのは嫌なくせに、LINEに縛られるのは心地よく感じていた。
同時に2, 3人と会話して、常に誰かから返信をもらい、誰かへの返信を考えている状態。
「おはよう!」や「部活お疲れ!」はログインボーナス、友人からの返信はスタミナ回復の合図だった。

同性の人だけでは飽き足らず、調子に乗っていた (そして今より無駄に度胸があった) 私は異性も追加して話しかけた。
結果十人には満たなかったと思うけれど、数人の異性の人とも毎日やり取りをしていた。
考えてみれば、同性の人よりも異性の人とのやり取りの方が多かった。
同性の人との会話は、教室や部室でできるから。

また、あの時自分は悩みを (特に女子の悩み、いわゆるガールズトーク) 聴くことが人よりも少し上手いと気づき、恋バナを何時間も聞き続けたり、部活動での男子 (やり方が横暴だったと私も思う) のグチを何時間も聞いていた。
浮気をされた友人とその彼氏さんと、なんと浮気相手を私が繋いで、その彼氏さんに灸を据えたこともあった。
つまりは3対1で断罪したのである。(後に彼の恋愛に2回ほど絡むことになり、私と彼はこの一件とその絡みが原因で今でも絶縁状態。)
特に部活動においては、男子の部長がどういう事を考えているかを本人や男子から聞き出し、それを女子に流したり、恋愛以外の相談にものったりして、情報屋のようになっていた。
今から考えても、調子に乗りすぎだし、バレたときの男子から誹りを受けたのにも弁解の余地は少しもないな。


断言できる。
あの時は一番友人が多かったし、「友人と話す」という事だけ考えれば、あの時が一番充たされていた。
前述のように部活内での立場は、恐らく最も強かった。
でも同時に、あの時から少し前まで私は、生活習慣や価値観を友人に預けてしまうようになっていた。
友人がおはようと言ってくる時間に起きるようになっていたし、本当は眠くて眠くて仕方ないのに「全然眠くない!」と噓をついて友人が寝落ちするまで話し続けていた。(私に何か事情があったり、相手が忙しい/会話をする気分ではないのを察したらさすがに話を終わらせていた。)
私にないものはもう何もないとか本気で感じていた。

けれど、気づいていなかった。
私は同時に空っぽだった。

そのピークは高3の春、友人に思い切って告白して、人生初めての恋人ができた時。(当時別の友人も告白しようとしている最中で「ハードルあげるんじゃねえよ!私が○○君にフラれたら慰めてよ!」と言われた。色々聞いていただけに少し後ろめたかったけれど、無事OKをもらえていた。)
私の高校の3年生は、そのころには続々と部活を引退して、例外なく大学受験に目を向けていた。
私もその中に混ざっていたのだけれど、スマホが気になって、勉強がかなり適当になっていた。
机の上にスマホを置いて、画面が光れば勉強は中断。
少し返信を考えて、送信を押してからまた勉強再開。
模試の成績としては旧帝大でD~C判定を取り続けていた。
そのため特別悪いわけではなかったのだけれど、それでも人よりサボっているという自覚があった。
恋人以外とのLINEも相変わらず続き、毎日5人程は会話をし続けていた。


変化があったのは10月。
恋人との別れが訪れた。
心がバラバラになるとか、街が色あせて見えるとか。
恋愛ソングにある歌詞はどれも嘘ばかりだと思っていた。
去年は調子に乗り始めていた秋空の下「本当だったんだ......。」と本当に声にだして、小さくつぶやいたのを今でも覚えている。

あれだけ騒がしく振動していたスマホは、死んだように動かなかった。
たまに息を吹き返したときは、友人がくだらない話題を変わらず振ってきたときか、私を多少慰めてくれる友人からのメッセージだった。
勉強は全く手につかなくなり、それまで80分で2年分解いて満点を取っていたセンター英語も、同じ時間で大問4まで進めなくなっていた。
食事がのどを通らなくなり、私は人生で初めて、自覚があるくらいにみるみる痩せた。

それでも私はスマホを手放さなかった。
幸い、調子に乗っている時期にできた友人の多くはその時もまだ交流があった。
私は気を紛らわせるためにかわるがわる話を聞いてもらった。(今考えると最低だ。)
なんとか現実と対峙した私は、そこから大学入試と惜別という2つとの戦いを強いられた。
目指す大学は変えずに、努力に努力を重ねた。
私は別れるときに言われた「合格してほしい」という言葉に依存していた。

そのかいあってセンター試験では自分史上最高得点をおさめ、特によくできた数学の点数を、私をかつて見下した理系に見せびらかして復讐していた。
ただ、その時には元恋人との仲が最悪になっていた。
先の言葉ももう救いとして機能せず、あまりのネガティブさと情緒の不安定さを見限られて友人も減りに減った。

依存し続けた私は、ここで初めて依存先を失った。


それでも、会ったことがないのに私を慕ってくれる後輩の励まし (詳細は省略) や、それでも私を捨てなかった友人、チューターさん、そして様々な音楽に助けられて、志望校を1度も落とさないまま合格することができた。

その後元恋人とは仲直りし、現在ではかけがえのない良い友人となっている。
その時からまた少し調子に乗った私は、受験期私を励ましてくれた後輩と友人になった。
またしても私は、性懲りも無くこの人をはじめとした友人に依存するようになり、その他すべてを犠牲にし、未来の自分に借金をしながら生活をしていた。

当然それが祟って私の心が不安定になり、忘れていたネガティブと情緒が戻ってくる。

詳細は他の日記に少し記載しているが、ザックリいうと「お互いに価値観がめちゃくちゃ似てる!と思って急接近したら、相手から見た私が思っていたより違う人で、そこに私の精神不安定が重なって、それまで親友のように仲良くしてたのに色々あって絶縁状態になっちゃった!」というわけ。
ここまで失敗を重ねて私は自分や家族、友人ではどうしようもない、また同じ失敗を繰り返すとようやく思った。
そこで自分に変化を促すため、思い切ってカウンセリングを受けた。

先生 (?) 曰く、診断はつかないけれど軽い抑うつと軽いパニック障害の傾向がみられるとのこと。
自分がそんな風になっているなんて考えもしなかった私は、そこで冷静になって自分を見つめなおした。

今までは全てを「友人」という柱に任せきりだった。
恋人ができたときはその柱は「恋人」に変わった。
好きなもの、行きたい場所、関わる人、寝る時間、さらには将来像や価値観まで、ありとあらゆるものが「友人」任せ。

だから、友人なしでは生きて行けなかった。

私が日記をつけることを思いついたのはこれが1つの理由。(塩谷さんへの憧れがもう1つの理由。)
自分が自分の脚で立つために。
もう、一つのものに全体重を乗せなくても生きていけるように。
自分を取り戻すわけではないけれど、(あんな過去も「私」だから。) 自分が幸せに生きていくために。
もう絶望に乱されないために。

自分の好きなものをちゃんと見つけたり、自分はどうしたいかに耳を傾ける。自分の価値観を自分の手に引き戻す。
友人と話す以外にも、楽しいことはたくさんあると認識する。
「海月」という名前を本名以外に持って、現実以外の場所に自分を持つ。
日常の小さな絶望に飲み込まれないために、日常の小さな幸福に目を向ける。
情緒を乱そうとしているときも、心を落ち着けて、自分と対話するイメージで、素直な言葉を書き残していく。

これらが今の私がとった解決策。
今のところ効果は絶大で、日記をつける前とはくらべものにならないほど幸せ。
生きているのがとても楽しい。
人生最大の幸福と絶望を味わった高校時代、そして慕ってくれた後輩との別れを通して、私はもう一度自分の脚で立とうとしているのだ。
色んな人の助けを借りつつ、でも前までと違って、何にも寄りかからないまま、直立二足歩行をしようとしているのだ。どうか、優しく見守ってくれたら幸いです。


自分でも驚くほど長くなったのに読んでくださった方、本当にありがとうございます。



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