鍋を磨けい、鍋を
こんにちは、じぇらと申します。
この前バイトに行きました。入るや否や、店長から「じぇら、すまん🙏今日予約全然無い、早めにあがってくれるか?」
その日は大学が1限からあり、体育もあって、学祭の居残り作業もあって心身へとへとだったので
「いいっすよ〜✌️」
と軽いへんじ。店長めっちゃ謝ってて草。おれ賄いも食えるし早く上がれるし最高〜って感じ。
客はもうホント2、3組がパラパラいるぐらいで皿洗いをある程度こなして、10分に一回ぐらい客に呼ばれたらいってドリンクつくったり、正社員のひとの代わりの対応したりするぐらいでクッッソ暇でした。
そしてついに本題。丁度やることがなくなった時ぐらい。
料理人の方が鍋を持ってきました。大中小三つの鍋。料理人の人はいろいろな店舗を渡り歩いてきた50を超えるベテランさん。なのにいつも腰が低くイケメンのおじです。見た目30後半ぐらいかと勘違いしてました。いつも優しくしてくれますし、仕事もないので断るはずもなく
「じぇらくん、鍋磨きお願いしていい?」
「あ、全然いいですよ〜」
と即答します。
「じゃあ、じぇらくん、鍋磨きのイイ方法教えるよー」
「え、いいんですか!助かります!」
「こんな日ぐらいじゃないと教えれないからねぇ笑」
なんてイケメンなんだこの人!
実は前、鍋磨きで店長にダメ出しを受けました(ぶちのめすぞ😇)。それを見ていたのもあって教えてくれるのでしょう。
「じゃあ教えるよ〜」
「はい!!」
「こうやって全体的に磨くと、全然磨けない。欲をかいていきなり全部は力入れても無理。狭い部分で、全く力入れずに磨くの。それだけで、ホラめっちゃ綺麗になるでしょ?」(発言全くそのまま)
はぁ。
なるほど……?
ごしごしごしごし…………なるほど。
無心でこうやっていると、なぜか心落ち着くものがあるよなぁ……
ごしごしごし………
欲を掻いて、全体でやってるとだめ、かぁ。
確かに、そうかもなぁ。
一つのところ、ずっと擦ると、磨けるもんなぁ。
……
俺いろんなこと考えすぎて今やってるコレじゃダメなんじゃ無いかと思ってよく不安になって別のところへ手を出すもんな。そしてそこでもコレやってても意味ないんじゃ無いかと思うんだ。
このnoteも、いったん書いてもまた時間が空いてしまう。そしてその空白に憂鬱をかさねる。あぁ俺またサボってる。でも、こんなの意味ないしなぁって思っちゃう。
鍋磨きねえ。結局1時間ぐらい磨いてた。
たしかに、前磨いてた時よりも綺麗になった。
磨いてると、一部分だけでも一層綺麗になっていったのが分かるのが楽しくもあった。
鍋磨くとかおれ、一番縁がなかったからね、末っ子で生優しく育てられて。でも、くそみてぇか地べた這いずり続けたら、そこが光るらしいっすね。別に鍋磨きがくそみてぇな地べたと思ってないですけど。そういう、意味のないと勝手に思っていてもそこをずっと擦れば別物になりうるのか。そして料理がよりよくできると。裏方の、基盤の重要さ。
実際、あぁ、と感動した。
「地道な努力が…」とかよく聞いてきたけど、言葉じゃなくて実体験を踏まえたら全く別の新しい言葉のようにきこえる。
そう思える体験が何もない暇な日から生み出される。とても素敵なことだ。
思えば、僕は空手で全国大会へ出場したが、それも毎日毎日小学生がやるような基礎をずっっっと何時間もやらされていた。なぜ、他のみんなが上手くないのかわからなかった。基礎だ。基礎が僕は先生に鍛えられていたのだ。そして今、より思うのは、先生はものすごく凄い人だということだ。空手だけじゃなく人生も学べるとは、凄い人だったんだなあとしみじみ。
その体験があるからこそ、気づけたのもある。繋がっているのだ。
さて、
つぎは何を磨こうかね。
肝臓でも磨くか
終わりの人より。
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