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便利さが消す、愛おしい苦労

「便利が生んだ弊害」について自分なりに考えていたことを言葉化してみます。
よろしければ最後までお読みください。

私は日頃の生活で「不便だなぁ〜」と思うことって滅多にありません。

もし仮に何か不便なことに出くわそうものなら、耐えきれず、すぐにGoogleで何かしら検索をしたりして、
自分より先に同じ思いをした人のアイデアハックを読んで、「なるほどそういう手があったのか」と思ったり、
すでにそれ用に開発されたアイテムを、たったのワンクリックでゲットしたり。

私の感じる不便さなんぞ、大抵のことはすぐに解決してしまいます。

先日は、お店でかかっていた音楽が気になって知りたくなったので、
”Shazam” (今は “Encore” に変わったのかな?) というアプリを開き、スマホを音楽の方に近づけ、アプリにすぐに解析してもらって、曲名とアーティストを調べていました。

本当に便利なアプリで、しょっちゅう使っているものの一つです。


振り返ってみると、私が学生の頃は、それこそお店でかかっていたり、映画で気になった曲は、
曲の中に聞こえる歌詞を頼りに、自分なりに曲のタイトルを思いつくままに紙に書きだして、
わざわざTSUTAYAまで足を運び、ひたすら洋楽コーナーのアルバムを見て探していました。

例えばですが歌詞に “Love you forever~🎵” 的なものが聞こえてきたら、ひたすら “LOVE YOU FOREVER” と書かれたタイトルの曲を試聴し
あれでも無いこれでも無いと、何時間でもTSUTAYAに居座って、たった一曲を探すために、たくさんのアルバムを再生してはスキップして、、。

結局欲しかった曲は見つからなかったけれど、他に気に入った曲をいくつか見つけて借りて帰って。

映画一つ借りる時でもそうでした。
わざわざTSUTAYAまで行ったのに他の誰かがレンタル中で借りれなくて、仕方が無く他に見たい映画を探すために、DVDの裏のあらすじを一つ一つ読んだり。
パッケージに惹かれて借りてみたけど全然面白くなかった映画で、時間とお金返せ!と思ったり。笑


それでも当時はその全ての行動、
TSUTAYAにウキウキで向かい、色々頭を働かせながら探し、新しい発見もあり、家に戻ってゆっくり堪能する楽しみ、、、
この時間をかけた一連の流れが、なんだかんだ満足感があった気がします。


素敵な音楽や、素敵な映画がお気に入りなのには、もちろんその作品自体が素晴らしいのもありますが、
それを好きになった時の背景となる、こうした愛おしいバックストーリーも相乗しているように思うのです。

何回か通ってついに好きな曲を発見できた時、お店で一人で興奮し、やっと見つけることができた気持ちを誰かに言いたくなったり、
それがずっと探していた曲名では全く無かった時の自分の馬鹿馬鹿しさだったり、でもやっぱり発見できた自分は天才だ!とすら思えたり。笑

そんな思いで見つけた曲は、本当に永遠とリピートで聞いていましたし、
そのアーティストのことは一瞬でファンになっていました。
今聞いてもその時の気持ちや感覚が甦り、ノスタルジックな気持ちに浸ってしまいます。

どれだけ便利な世の中になっても、結局人間は時間をかけて苦労をしたバックストーリーや強い思い入れがあるからこそ、
点の瞬間のインパクトが大きく感じれるのでは無いでしょうか。


「苦労は買ってでもしろ。」という言葉通り、
苦労のおかげで、忍耐力だけでなく、発見、知識、自信、、、あらゆるものが身に付き、その気持ちや感覚は歳を重ねても残るんですよね。


もちろん便利になったおかげで、心底助かることも山のようにありますし、
こんなことを書きながらも、これからも沢山の “便利” にお世話になるんだと思います。

ですがたまにはこうゆうことを振り返り、 “自分にとって本当に必要な便利なのか” を考える時があっても良いなぁと思います。


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