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世の中で時間だけが平等

私のnoteは、自分の備忘録のようなものです。

ですがたくさん読んでいただいて、スキも頂けると、あぁ少しでも誰かしらに共感していただく何かがあったのかなと思い嬉しくなります。


少し前に私の幼少期のことについて書きました。

そこで私と母親の関係については少しだけ触れました。

今でこそ色々な感情を経て、母親に対して優しい気持ちを持ち直せるようになった私ですが、つい最近までは絶縁しても良いくらいまでに思っていたこともあります。笑

これはまた気持ちが言葉としてまとまった時に、備忘録として書けたらと思っています。


私の両親ですがまだどっちも健在です。


私の父についてですが、父は優しくて真面目で、若干天然なところがある人なんです。

昔は弁護士になりたくて法学部にいたそうですが、結局は色々あって大手の製薬会社にMRとして就職し、定年まで働き上げた人です。

今でこそ、仕事は転職してキャリアを積む人の方が多くなってきたかもしれませんが、私の父の時代(1980~1990年代)は、就職したら一生涯そこで働き上げることが普通でしたよね。


時代の流れと共に働き方も変化していきますが、選択肢が増えた現代に生きている私は、一生涯同じ会社で働くなんてできるか自信が無いですし、
そうやって働いて家族を支えてきた父のことは、素直にリスペクトしています。

自分が家族を持って、余計にその大変さを考えれるようになってきたと思います。


私が子供の頃は、あまり父に怒られた記憶がありません。

実際には数回はあったのですが、圧倒的に母親に怒られた記憶の方が多いので(笑)父はいつも私を慰めたり諭す役回りだった気がします。


中学生頃のとある日だったと思いますが、
私がダラダラしていたのかそれが積もりに積ったのか、原因は忘れてしまいましたが、母にコテンパンに怒られた時がありました。


ですがその時の父も、怒られた私を諭しに部屋へ来て一言だけ、

「世の中には、色んな人種がいて、善人も悪人もいる。金持ちも貧乏もいる。
色んな “差” が人々にある中で、一つだけ絶対平等なものは何か考えなさい。
わかったら言いに来なさい。」

と言って部屋を出ていきました。


当時の私は怒られて拗ねていましたし、急になんの謎解きを言ってるんだと思い、父のその問題の意図も答えも全然分からずにイライラしていました。


でもこのまま何も答えなかったらそれはそれで怒られると思ったので、しばらくしてから
「考えたけど分からなかった。」とだけ言いに言ったのです。


その私の答えを聞いた父は、私の頭をスパンと一発叩き、
「答えは “時間” だ馬鹿タレ。」と怒りました。


それを聞いた私は、
なんだそんなシンプルな答えだったのか、という反抗心や、
そんなシンプルな答えを導き出せなかった自分の未熟さ、
なによりも父が私に言いたいことの真意が分かり、
静かにポロポロと泣いていた記憶があります。


それ以来、私にとってはそれはとても大事で意味を持つ言葉となりました。


それから私は大人になり、 “お金で時間を買う” ということも学びました。
例えば、移動時間がもったいないからタクシーを使う、とか
Youtubeの広告に時間を取られたくないから課金する、とか

そんなことも大人の私はできるようにはなりましたが、
どれだけ時代は進化しても、課金で一日30時間にすることはできません。


時間の価値は誰にでも同じ。

私にとってこの言葉の持つ意味は、まだまだ到底深いのです。



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