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COOL CREATOR COLLECTION 02|前のめりに描き続けるアートな人生の幕開け[前編]

エンタメ界が注目していきたいクリエイターを紹介する不定期連載「Cool Creator Collection」。
第二回はPainter & Graphic designer の吉田佳寿美。グラフィックアートの世界をベースに、イラストやデザインなど多様なジャンルで才能を発揮している彼女。行動力と現状判断力に秀でたその過去を掘り下げていく。

──まずは生い立ちとバックグラウンドから聞かせてください。

福岡の生まれで7人きょうだいの下から2番目です。両親は飽き性というか、自由気ままにジョブチェンジするタイプの人で、父は印刷会社を経営していたと思ったらトラック運転手に航空整備士、建築士もやっていたことがあります。母もパートから学校の先生になって、その後、起業したという忙しい人でした。

にぎやかと言えば聞こえはいいのですが、幼少期などからある日突然、それまで会ったこともなかった姉たちが家にいきなり現れたりして、ほとんどカオスでしたね。幼い頃は家に油絵が飾ってあったり、印刷に使う色見本のバーが置いてあったりと、他の子と比べるとアートに興味を持ちやすい環境だったかもしれません。私が6歳の時に両親が離婚して、母と下の妹と一緒に暮らすことになりました。でも、母子家庭なので案の定、暮らしは貧しく、社会の風当たりが厳しいこともあり、母の苦労する姿を見て育った記憶があります。

小学生の頃からインターネットがあったので、母の仕事場でパソコンをいじってよく遊んでいました。海外のアート作品を見るのが面白くて、ウイルスにバンバンかかりながら(笑)、2ちゃんねるなどのネットサーフィンをしていましたね。それが小6くらいです。でも、子ども心に手軽にいろいろな世界にアクセスできることがとても楽しかった。

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──アーティストとしての素地が作られた中学、高校時代について教えてください。

人格形成の面でいえば、母の影響は逆の意味で大きかったかもしれません。仲の良い友だちが行くからと、私も受験して同じ私立中学に受かったのですが、合格した後で母から「お金ないから無理だよ」と言われたんです。「最初から言ってくれよ!」って感じですが、そういえば私が受験の話をしても、母は意味深な笑顔を浮かべるだけだったなと。自分ではてっきり行けるつもりだったのが、いきなりハシゴを外された格好になって。その時の絶望感や無力感、そこから湧き上がる悲しみや怒りの感情は今でも私の心にトラウマとして残ってます(笑)。

その反動からか次第に勉強しなくなっていき、演劇部に入るなどしたんですが、一方でブログやpixivにイラストを載せていたら、少しずつですが発注を受けるようになっていったんです。なにより絵を描くと集中できるし、嫌なことを忘れられるんですよね。自分の内面を表現するというよりは、人からリクエストをもらったほうが描きやすかったですね。

高校はそこそこの進学校に行ったものの家庭は変わらずカオスだったので、絵を描くことに集中していたら、高校2年生くらいから仕事になり始めました。当時の高校生のバイトだと時給600円くらいでしたけど、1枚描けば1万円になったので「割が良いな」と(笑)。モバイルゲームの制作会社から個人事業主まで、グッズやらキャラクターやらのデザインをしました。今思えば買い叩かれているなとは思いますけど、高校生にとってはいい収入でしたし、そこでまた世界が広がりましたね。

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──高校生にして“プロ” デビュー!その後、上京までの道のりとは?

地方にいると「絵を描くこと」ってものすごく恥ずかしいし、食べていけないことだと思っていたんですよ。イラスト1枚描いて1万円いただけるのはありがたかったのですが、それでプロとして1カ月30万円稼ぐには単純に30枚描かないといけないですし。でも、高校3年の時に絵が上手いことがクラスメートにバレて(笑)、これは美大に行ったほうが良いのでは、という話になったんです。

そこからデッサンを始めて高校を卒業後、九州産業大学芸術学部に学費免除で合格。親元から離れて一人暮らしを始め、吉野家でバイトしながらしっかり単位を取りつつボランティア活動もやりました。絵を描く時間はありませんでしたが楽しかった。でも、ある日、知り合った人から「なんで絵が上手いのにバイトしてんの?」って言われて「それもそうだな」と気づいて。

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このまま地元で就職しても給料は月14万円くらいだし、そもそも絵の仕事もなさそうだなと。あと、実は高校の学費が奨学金でまかなっていたことが発覚して。私立だったんですけど、まさかの自腹だったという。そういえばこの時も母は黙ってニコニコしてましたね(笑)。で、このまま地元で就職したら人生終わると思って、1年間、休学してシェアハウスに転がり込みながら東京でインターンをしたり広告媒体のバイトをしたりしたんです。

そこで改めて武蔵美(武蔵野美術大学)の編入試験を受けたら合格したので、思い切って上京。これまでの仕事のポートフォリオもたまっていて、一番偏差値の高い視覚伝達デザイン学科に編入できました。でも、並行して仕事も続けていたので、急な発注に対応するために下北沢に住んだら国分寺のキャンパスに通わなくなってしまって…。その頃にはもうアカツキさんとかソニーデジタルエンタテインメントさんなどの仕事をしていたので、あんなに憧れて入った武蔵美だったんですけど、メリットデメリットを並べて考えてみて、今のチャンスを大事にしたいと思い1年半で退学してすぐに起業しちゃいました(笑)。


幼い頃から好きな絵を描きつつ、マネタイズのノウハウを独学で身につけていった彼女。しかし念願だった武蔵美に入った途端、退学して起業。さまざまな価値観が目まぐるしく変化する現代において、この反応速度は彼女の大きな魅力であり武器の一つではないだろうか。次回[後編]では、そんな彼女が思い描く未来のアートとエンタメの関係、自身の将来について語ってもらう。


■PROFILE■
Painter & Graphic designer
吉田 佳寿美(よしだ かすみ)

1993年、福岡県生まれ。高校2年生時からイラストレーションや商業デザインをメインに、ソーシャルやイベント系の企業や個人クライアントから制作を受注。2012年、九州産業大学芸術学部デザイン学科特待枠で入学。2015年度から武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科3年次に編入、中退して2016年にグラフィックデザイン制作会社EMOGRA.incを設立。ライブペインティング競技「ARTBATTLE TOKYO」チャンピオン(2019 July 6)。


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<発行日:2019/10/28>
*本記事は、FIREBUGが発行するメールメディア「JEN」で配信された記事を転載したものです。

Writer:中村裕一
Photographer:橋口慶

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