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「嫌われる勇気」の虚像

こんな本がベストセラーになったことがあるが、その読者の何割が嫌われることを受け入うれることができるのだろうか。かくいう私も嫌われたくないなとか、みんなに好かれている人を見て、羨ましくなるわけども。。。
もちろん、僕と少しでもかかわったことがある方は、承知しているかもしれないが、僕の性格上それは、かなりないものねだりなわけであります。
時々そんな自分につらくなる時がありますが、そんな時は、多くの偉人、僕を大切にしてくれたり、面白いと言ってくれる人の言葉に救われたりするわけです。まぁこの日本語すら危うく、ヘンテコな記事も結局はそうなって頂く、もしくは自分に暗示をかけるためのものなわけです。

ところで、

僕が大好き日本の最高学府、東京大学では一大イベントである五月祭が直近にありましたね。その中で、成田悠輔氏の日本の大学教育を考えるという公演があり、僕もそれを傾聴すべく東大に朝から整理券を獲得すべく向かったのですが、まさかの整理券配布開始時間には売り切れ、、、
ネットニュースなどでも話題になったアンチ成田の影響も多少あるのかなと思いつつ、やはりら影響力が大きいって良い意味でも悪い意味でもとてつもない力を持っているな.と感じました。

この講演の最後にも成田悠輔は、「全人類から嫌われる悪魔を目指そう」と言ってたそう。彼は元々「嫌われてるときに何か新しいことをやっていると思える」「嫌われてでも、言えない本音を言おう」なんて事を言ってるから嫌われることに多分肯定的という事があるのだろう。それでも、嫌われやすい僕からすれば非常に救われるような言葉なのです。成田さんの言葉の真意はわからないし、もしかしたらテキトーに言ったのかもしれない。しかし僕はこう捉えたい「社会に嫌われようとも、窮屈に生きるんじゃなくて自由に生きようじゃないか。そしてこの世界をより良くしようじゃないか」なんて。ありふれた言葉かもしれない.気障な言葉かもしれない。それでも良いんじゃないか?何かやって後ろ指立てられる人、笑われる人、「闘わない奴が笑う」「闘う君」もそう受け取っていいんじゃないかな?そう思うわけです。そこで諦めないで頂きたい。僕は別に嫌われる事をしろとも言わない。僕も苦労した事が本当に多くあるし。嫌われてる事を顧みないのも良くないと思う。ただもぅ取り返しつかない。と思っている人、そんなことはない。環境を変えれば受け取る受け皿は全く違う。だから、嫌われてる君はイキイキと生きてみないか?そして日本を、世界を変えてみないかい。

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