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選手の価値とは


サッカー選手の価値は何か。

水戸に来てこれを何度も考えさせられた

もちろんピッチの中でのプレーは自分の年俸やチームの勝利に直結する

だからってそのプレーだけに打ち込みその他のことはそうでもいいのか?

と言われれば絶対に違う



僕の考えるサッカー選手の価値は

ピッチの上はもちろん

ピッチの外では夢や希望を与えること

これができるのがサッカー選手の価値だと自分は思う


「なぜフェラーリ10台、ダイヤモンドの時計20個、飛行機2機が必要なのだろうか?
 それは世界に何をもたらすのだろうか? 私は空腹で過ごし、畑で仕事をし、裸足でプレーし、学校には行かなかった。
現在、私は人々を助けることができる。学校を建て、貧しい人々に食料や衣類を与えることをより好んでいるよ」

2年前にこの言葉に出会った時に僕の心臓を槍で突き刺されたような感覚があった

この言葉はリバプールのFW サディオマネ 選手のインタビューだった。


当時の僕はいい金もらえるようになったら

いい家に住んでいい車に乗ってギラギラのダイヤモンを身に付けようとしていた

でも、

それが世界に何をもたらす?


もちろんそれもいい

でもそれって本当に自分のやりたいことなの?

誰かが勝手に決めた「サッカー選手とはこれ!」
にとらわれてないだろうか?

そんな問いが
自分の考えを変えた。


実家に帰るといつも大きな段ボールが部屋を圧迫している

僕の小さい頃から母はその段ボールを毎年いっぱいにして自分の故郷へ送る

自分や弟の着なくなった服や自分の着なくなった服

サッカーの洋服や学校の体育着など

お世辞にもいいものとは呼べないものばかりで見る人によってはごみかもしれない

そんなの送ってどうすんの?

っと母に聞いたことがある

はっきりとは覚えてないけど

あなたたちは服に困ったことがないからそんなこと言えるのよ

的なことを言われた。

当時の自分にはピンと来なかったが

小6のクリスマスに母の故郷



カタンドゥアネス島



でその意味がわかった。

いつもは夏休みにフィリピンに返っていたがなぜかこの年はクリスマスシーズンにフィリピンいた

そこで僕の母主催のクリスマスパーティーが開かれた。

そこの村の人たち80人くらいの大人から子供までが集まった。

フィリピン人はパーティーが大好きだ

だから誰が主催とか関係なく集まる

一晩にして全員が友達になる

正直お前誰やねんってやつばかり
だけどすごく楽しい

そしてパーティーの最後に見覚えがあるダンボールが出てきた
そう俺ん家にあったやつ

そして母は笑顔でみんなに配る

みんなが笑顔でそれをもらう

なんて幸せな光景なんだろうっとそれを見て思い

自分も将来このようなことをしてみんなを笑顔にできたら
どれほど幸せだろうかといつかはこんなことして見たいなそう思うようになった。

そしてこの前帰った時に
小学生の頃自分が着ていたサッカーのジャージを小さな少年が着てた

こんなに長く使ってくれたら服たちも幸せだろうなーっと思った。


母のように自分も人を笑顔にしたい
そんなことから今回のプロジェクトをクラブそしてスポンサーであるアダストリアさんと一緒に実現することができた。

アダストリアさんでた
訳あって商品化することができなかった洋服たちを自分がデザインさせてもらってフィリピンのみんなに届けました。

人生自分次第
という自分の人生のスローガンをタガログ語にして
『ANG BUHAY AY IYO』というメッセージをTシャツにプリントしました!

今まで自分の置かれた環境は自分では選べなかったけど

この先の未来、夢は自分の意思や行動で掴み取れる

ことをもっと活躍して自分が証明していきたいという願いも込めて。
みんなにはメッセージを送りました^_^

実際に手渡しできなくて残念だったけどみんなとZOOMしたりしてとても力を分け与えてもらえました。
自分が喜んでほしくて始めたことなのに自分が一番元気や勇気をもらいました。

そしてそれを支えてくれたクラブとアダストリアさんさんには本当に感謝しています。

これからもこの様な活動を続けていきながらサッカーも頑張っていきます!!



ここまで読んでくださり有難うございました😄


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