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古い日記

西日が差し込む午後のカフェ。ラピスラズリ色のエプロン姿の店長マナミはカウンターの内側で母親が遺した古い日記を読んでいた。

4月15日 快晴
久しぶりに色彩小路の「あじさい」にて夕食にした。独り暮らしはこんな時に融通が利く。独り身も悪くない時もある。長い付き合いになる店長の誠ちゃんはドクター・ストップで引退する予定らしい。味噌煮込みの薫りが染み付いたこの店がなくなるのは非常に惜しい。お店は知り合いに居抜きで貸して、生活費の足しにするらしい。お互いに年金ぐらし、それを聞いてなんだか安心した。それでも誠ちゃんは冴えていた。
「誠ちゃん聞いてよ、真理子がさ、黒人の若い男の子と腕を組んで歩いていたのよ。」
「横須賀の船乗りのあいつだろ。知ってるよ。」
「違うのよ。横田で整備士をしているらしいのよ。新しい彼だって。」
「それってアレだろ、セックス・フレンド!良いことだよ。お若いの、そう思うだろう!」とカウンターの反対側にいた若い男の子に話を振った。
その子はビールで真っ赤になりながら「いい話ですね。お酒が美味しく飲めます。」とテキトーに話を合わせてくれた。

4月16日 曇りのち小雨
小説の教室の榊原先生に昨日の誠ちゃんとの会話を説明した。
「喜怒哀楽の喜と楽が揃っている。そして、愛と活力に溢れた素敵な会話だ。メモ帳に書き残すべきだね。いつかプロットして活かせるだろう。」
尊敬する先生のお言葉だからここに書き残しておく。これを誰かに公開する器は持ち合わせていないのでマナミにも秘密にしておくことしよう。この日記に書いてあることは確実に墓場まで持って行くことを決意をあらたにした。

カウンターのコーヒーの湯気はゆっくり消えていく。客が少ない平日の午後の時間に開く日記。本当に仲の良い友達にしか絶対に見せない母の秘密。親不孝な娘は今日もこのそれを開いていた。母が秘密にしながら娘に発見された日記。そこには何かの理由が在るのだろう。
そして、「セックス・フレンド」の言葉のどこかに隠された意味を超えた支流を探す榊原先生の宿題は母から娘に引き継がれている。雨は山から大地を経て海へと至る。そして、天に還っていく。その流れに果ては存在しない。
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