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「うっかり」死んでしまうことを防ぐために

三浦春馬さんが亡くなったことを受けて、えとみほさんが<人は「うっかり」死んでしまう>というnoteをお書きになりました。

有料記事なので内容の紹介は控えさせていただきますが、深くうなずける内容でした。
それを受けて、僕の考えたことを書きます。

人が自らの行いで死に至ってしまう時、「死にたい」という明確な気持ちがある場合だけでなく、「生きている苦しみから逃れたい」という気持ちでも死に至ってしまう場合もある。
あるいはそこまではっきりとした形でなくとも、「生きているのがつらい」「面倒くさい」と思うことはあるかもしれない。
僕も昔、仕事とプライベートでストレスが重なっていた頃、仕事帰りに運転しながら「このままスピードを上げて路肩ののり面に突っ込んだらどうなるかな」とぼんやりと考えたことがありました。あの時やけを起こしていたらどうなっていたか。

明確な希死念慮がなくとも死に至ってしまう場合、あるいは希死念慮を我慢していたのに自制できなくなり死に至ってしまう場合、どのようなシチュエーションが危険か?
それはひとりの時、そしてアルコールや薬物など何らかの精神作用物質の影響が入っている時だと思います。

ひとりでいる時にネガティブな考えに捕らわれると、周りで起こるネガティブな出来事があたかもすべて自分に関係しているように感じられ、物事の良い面は見えなくなり悪い面ばかりが心に迫ってくるようになり、自分を苦しめる悪循環から抜け出せなくなる。
そういう時にアルコールなどの精神作用物質を摂取していると、感情を理性で制御することが難しくなり、衝動が抑えられなくなることがある。

そんな時、「うっかり」死んでしまうことを防ぐためにどうすればいいのか。

それはアウトプットをすることだと思います。
ストレス状況に対する人のアウトプットは行動化、言語化、身体化の三つ。(このうち身体化は自分でコントロールするのは難しいので、この場合は除外します)
自殺するという行動化を防ぐためには、自殺以外の行動化か、言語化というアウトプットをする。
自分を傷つける代わりに、物にあたる、がむしゃらに体を動かすといった行動化で代用する。誰かに話をすること、日記やメモに書きなぐること、SNSに書き込むことなどで言語化する。(ただしSNSで言語化するときは、それに対するレスポンスがさらに自分を追い詰めることがあるので、公開範囲を限定するか非公開で書き込むこと)
そしてアルコールは飲まないか、誰かがそばにいるシチュエーションで飲むようにすること。

「時間薬」「時薬(ときぐすり)」「日にち薬」という言葉があります。
つらくて苦しくて、出口がないトンネルのように感じていても、いつか抜け出す時は必ず来る。死んでしまうことを少しだけ先送りすることを繰り返すうちに、苦しみが少しずつ融けていくことがある。
先送りする、棚上げする。そして少しだけ待ってみる。

#生きる #自殺 #三浦春馬 #えとみほ

補足
死んでしまいたいくらい心がつらい状態が、一時的ではなく持続するようであれば、医療機関を受診することをお勧めします。

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