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チャットを介したあの人が好き

こそばゆい(くすぐったい)書き出しである。

チャットを介したあの人が好き。普段からチャットツールを使ってコミュニケーションしていても、そんなふうに思う機会が少ないな、と思ってた。

好き嫌い、というよりテキストを通して人に苦手意識を持つ人は多そう。「また厄介なこと言ってる〜…」「え、冷たくない?」なんて具合に。もう何年もテキストでやりとりしていても、小さなことで一喜一憂する。で、苦手意識を蓄積していたとしても、いざ会ってみると難なく話せたりする。

それを社会性や適応性と言えば、「チャット不要」で、この話は終わってしまう。苦手意識を乗り越えて、テキストはテキストとしてうまく使い、人は人として好きになれたらいいな、と考える。こんな輩の理想は、はたして弁証可能かどうか?書きながら考えてみる。

テキストコミュニケーションの向き不向き

ツールやコミュニケーションの種類にも、向き不向きがある。プライベートのメールやLINEも同じテキストでのコミュニケーションだけど、ビジネスのそれとは異なる。

相手も話題も、話し方、伝え方、要求のし方、丁寧語、謙譲語、敬語など相手を敬う表現、共通言語、あらゆるマナーが違う。絵文字もスタンプも使ったり使わなかったり。(それぞれが良いかどうかはさておき)

こと仕事となれば、他者とある目的に従って無数のタスクを共有、検討する。基本的に解決を優先し、無駄は積極的に省かれる。相手に関わらず、簡潔なテキストコミュニケーションはクリティカルで効率が良いコミュニケーションに向いている。

苦手意識の根源

どちらの場合でもテキストはテキスト、そこから相手の好き・嫌いまで判断することもない。では、苦手に思う人のその意識が間違っているのか?

ワタシ機械じゃない!と反論する人の気持ちを憶測しつつ、書き出して反証してみたい。後者を苦手と思わせていることってなんだろう?

・言葉にしづらい
・伝わらない
・捉え違いされる
・冷たい
・本意が分からない

もっとあるかもしれない。

万人が言葉をうまく使えるとは限らない。走り書きのように思いを吐き出せる人がいれば、言葉選びに慎重になったり、語彙力に尻窄みする人もいる。すべての人が言葉巧みに取り交わし、コトを進めるのは難しい。

対面コミュニケーションにある解像度

テキストと違って、対面ではどんなことがあるんだろう?

・場の空気、シチュエーション
・相手の状態や姿勢
・視線や表情
・身振りや手振り
・声のボリューム、声色
・阿吽、対話の同期感
・相槌や呼応
・立ち位置
・一言にかける重み

言葉は記号。言葉はすべてを表現しきれない。

対面には、こんなふうに言語化しきれない膨大な情報を共有している。そこには、テキストコミュニケーションにない解像度がある。

この難しさは、あなただけのものじゃない

つまるところ、言葉だけでお互いを伝えきるのは難しい。チャットはチャット、テキストはテキスト以上にならない。だから、交わした一言の解像度が低くても、人を諦める必要はない。

この難しさを感じるほど、相手もそう感じる可能性があると思える。お互いにもどかしさや面倒くささを抱えている可能性がある。すると、その苦手意識の向き先は人ではなく、話題に向ける必要を感じてくる。

量が質を生む

対面に適わないにせよ、テキスト、記号が中心の世界で解像度を獲得するには、とにかく量を交わしあう必要がある。それは点描画が細密になるようなもの。

そして、解像度の獲得、テキストコミュニケーションの質的向上は“自ら考えて”、取り組んでいく必要があると思う。また、なんとなく書き出してみる。

・敬意をはらう
・気分と状況を混同しない
・答えを急がない
・推測を提示する
・主語やメンション付きで尋ねる
・相手の言葉や共通言語で話す
・分からないことを伝える(知らないことを聞く)
・リアクションを大事にする

なんとなく書き出してみると、自分だけではできないことがたくさんある。自分を伝えつつ、相手の意見を知ることで、お互いの差異や合点が見つかる。

そして、それは姿勢や人となりを暗に伝えることになる。なんだか、他人のありがたみに触れられるような気がしてくる。

話してくれる人が好き

相手の時間や思考がなければ、会話なんてできない。テキストコミュニケーションにおいては、対面よりも多くを要求する。それは自分も相手も同じこと。

そこで苦手意識や数え切れない問答を持つ人ほど、相手のそれを想像できたら、感謝や共感を焦らずに少しずつでも共有していけたら、結果的に一言一句で伝わらない相手の姿勢や人となりが知れる。真摯に話してくれる相手のことを好きになる。そんな理想だって可能なんだよ、たぶん。

これだけテキストコミュニケーションが浸透した世界。テキストが全てではないその上で、テキストを捉え、さらには人を捉えて、これからのコミュニケーションについて考えたいものです。お互いに敬意を持ちながら。

もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。