ドストエフスキー著 「地下室の手記」(光文社古典新訳文庫)を読んで
何だろう、この小説は。暗く、陰鬱な主人公の手記として書かれていて、内容は混乱を極めるが、哲学的でもあるように思う。あとがき、というか訳者による解説によるとどうやら、元々あった部分を検閲により消されているらしい。そして消された部分は、この本で唯一の希望の部分だったらしい。作者自身が、この希望の部分を消されたことによって、作品が矛盾してしまっていると言う。それでもこの作品が長く読まれ続けている理由は何だろうか?それは、もしかしたらドストエフスキーの他の作品が有名なため、かもしれない。しかし、私はそれだけではないと思う。この作品には、鬱屈した人間がもつ思考が余すところなく綴られている。それが、鬱屈した人間の共感というか、気持ちの代弁的役割を果たしているというか・・・。作品が発表された当時の作者の国の背景を詳しく分からないが、現代の日本にも、似たようなところがあるのではないだろうか?頭の中では、プライドが異常に高く、しかし、主人公のように行動に移すことはできず(それが普通だとは思うが。)結果、鬱憤がもっと溜まっていく・・・
作品の内容を紹介すると、主人公はプライドが高く、周りとの折り合いがつかない、地下室の住人。自分の考えが激しく先行し、現実と思考の整合性が全く取れないまま、それを実行に移してしまう。これが意図したものなのかしてないものなのかは分からないが、作品に滑稽な印象をあたえている。本人は至って真面目なのだろうが、行動が極端すぎて完全に浮いてしまっているという。しかし、これが全くの他人事かと言われると・・・そう考えると恐ろしいですね。
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