やめる、ということについて
こんにちは、豆大福です。
先日、野本響子さんの本を読みました。
日本人は「やめる練習」がたりてない (集英社新書)
本書にたどり着いた経緯や、読書録はまた後日。
最近で一番、読んで良かったと思った本かも。
今日はこの本のテーマ「やめる」について、最近の出来事を考えます。
最近、我が子が習い事をやめたいと言って、やめました。
習い事は体操です、跳び箱とかマットとか。
始めたきっかけは、コロナ影響の長期休園。体を動かすことが減ってたので、私が試しに体験教室に連れていきました。「体操ならやってみたい」ってことだったので軽い気持ちでスタートしました。
見る限り本人は楽しそうにやってて、進級もして、任意参加の特別特訓も頑張るんだ!と張り切ってたんです。
側転とかし始めて、楽しいんだなぁと思ってた。
すると突然(だと私は思った)もう楽しくない、やらない、やめたいと。
こんな時、他のお母さんはどうするんだろう?
私は、一瞬、説得してみようと思いました。
「一回休んでまたちょっとだけ頑張ってみたら?」
「ここまで頑張ってきたのにもったいない」
そう言いかけて、いやちょっと言ったかな。
ともかく改めて、辞めたい理由をもうちょっと尋ねました。
僕が好きなようにやろうとすると、コーチが違うそうじゃないって言う。
それが嫌だ、楽しくない。
苦手なこともある、どうしてもできない、それがきつい。
好きなようにできないし、楽しくないし、そう思うと行くのも面倒くさいなって思う。
だからやめたい、もうやめさせて。
息子とやりとりしながらこんな感じの言葉を聞き出しました。
そこで私は素直に
「よく頑張ったね」と思った。
嫌になることもあったけど頑張ってきたんだね。
でももう、楽しくないんだね。
それをちゃんと言えたね、うん頑張った。
そう息子にも伝えました。
その一方で親として、今やめさせない方が良いのでは?と思う発言があったのも事実。
コーチはどうして「違う」って言ったんだろう?コーチは「こうしたらもっと上手くできるよ」って教えてくれたんじゃないかなってお母さんは思うよ。これまで出来なかったことが出来るようになったものもあるよね?もっと頑張ったら今出来ない事も出来るようになるかもしれないよ?今まで練習してきたことは全部身についてるよ。続けたらもっとすごいことが出来るようになるかもしれないよ。
そんなことも息子と会話しました。
その上で最終的には本人が「やめる」と決めました。
このやり取りを経て、息子はもう満足したんだと感じました。これまで楽しかったし、これ以上楽しみは無いし、なりたい姿もない。もういいですって本人が決めたんだと。
その後数週間様子見てますが、全くなにも無かったかのように、スッキリした顔してやりたいことをやっています。
でもしばらく、この体験が今後の息子に悪影響を及ぼすんじゃないか、何でもすぐやめちゃう子になってしまわないか
と母親として悶々としました。
そんなとき出会った、野本さんの本。
目からウロコが落ちました。
「やめる」ことを自分で決めた経験は、決して悪いことじゃないと思えたんです。
自分のことを、自分で決めたという自負。
やめた良かったという気持ちも、
「あーやめなきゃよかった」という後悔も
それを決めたのは自分。
その結果を受け入れる練習を子供のうちからできるのは、むしろいいことかもしれない。
そう思えて少し気が楽になりました。
これからもいろんな経験をして自分で選び取って自分でやめて、また始めることをしていけばいい。
そうすれば自分は何が好きなのか、何が得意でどんなことをしたいのかがわかる人に、
きっと、なる。
結局ほとんどのことって、やってみないとわからないよね、と最近思います。「やめたっていい」と思えば、とりあえずやってみることを足踏みせずに、サッと始められる。
でも大人になればなるほど、難しくなっていく。
決めるべきことがだんだんと大きくなって、失敗が怖くなる、やめられなくなる。
まさに、私が大人になって「私って何が好きなんだ?私はどうしたいんだろ?」とかって迷い悩んでいるから、子供にはこの悩みに早めに向き合ってほしい、さっさと乗り越えてほしい、乗り越え方を知っててほしいと思うんですね。
話逸れますが、親の我が子への思いっていうのは大体親のエゴだなって思う。彼がどうしたいかは彼が決めることだから。
でもエゴでもいい、とも思います。それも愛。
とりあえず、私が子にしてやれるのは、
彼が選び取る経験のための機会や環境を
たくさん与える事だと思いました。
そのために私は、稼ぐ。働く。学ぶ。
とりあえずやってみよう
そういうふうに思える心を育てたいなと
思っています。
脈絡なく書きました。
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