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作品評|佐々木健《授乳室のためのドローイング》

授乳室という庭

羽渕徹

キクイモ、アヤメ、ホトトギス、マツバギク、ヒメツルソバ。さらに奥に進むと、アサガオ、ウメ、ナンテン、サルビア、ハナビシソウ、ツバキ、レンギョウ、ハナトラノオ、アガパンサス、センダンと、多様な植物が壁面に直接描かれている──佐々木健の《授乳室のためのドローイング》(豊田市美術館 授乳室、2023年)である。授乳室は、使用中でなければ誰でも入室自由だ。

筆者撮影

佐々木と同じく、ウィリアム・モリスもまた壁に植物を描いた。いや、正確には直接壁に描くことはなかったが、植物をモチーフに壁紙をデザインした。モリスは、1877年のロンドンでおこなった「レッサー・アーツ」という講演の中で次のように語っている。

(われわれは)いつも見ている事物のかたちがこのように出来事に満ちているということに鈍感になりがちです。さて、装飾の主要な用途のひとつ、装飾が自然と連携することの主要な役割とは、この点で装飾がわれわれの鈍磨した感覚を研ぎ澄ませるということです。(*1)

モリスの主張は次のように読むことができるだろう。装飾の役割とは、それを媒介にして、「出来事」に満ちた事物のかたちに目を開かせることだ、と。

佐々木の絵の中にあるキクイモは、筆者の記憶の中にもある。ヒマワリに似たその花は、どこかから持ち込まれ、今では自宅の庭一面を覆うまでに繁殖している。食用として栽培されることもあるが、その繁殖力から畑を荒らすとして疎まれるそれは、背の高い茎や長楕円の葉、小さく黄色い花弁や茶色い花心を持つのだ。と、このように意識されたのは、白いペンキのモルタル壁に、直接オイルパステルで描かれた線による。その線は澱みなく伸びやかであり、植物の葉や茎の伸長、開花の過程を思わせる。壁面の僅かな凹凸は塗り込められるのを拒み、線は所々途切れることで淡い表情を持つ。この淡い線によって描かれた植物は、心の中にある風景をそのまま壁に投影したものであるかのように見えた。しかし、これは私のキクイモについての形象であり、佐々木の描いた対象自体とは異なる。では、なぜキクイモを始めとするこれらの植物は授乳室に素描されることになったのか。

ここに描かれているのは、佐々木の祖父母がかつて暮らした家、五味家の庭の植物である。授乳室は二つのブースに分かれているのだが、奥に位置するブースに一点、この庭を俯瞰した視点で描いたドローイングがある。そして五味家は、佐々木が2021年におこなった「合流点」(*2)という展覧会の会場になった場所だ。

この展覧会は、2016年に相模原で起こった障害者施設殺傷事件がきっかけとなったものである。佐々木には知的障害を伴う自閉症の兄がおり、事件の一報をSNSで知った時、兄が殺されたのではないかと思ったそうだ。その後、事件の詳細が明らかになるにつれ、加害者がおこなったことはヘイトクライムであり、メディアスクラムへの配慮だとはいえ、被害者が匿名報道しかされなかったことに佐々木は反発を覚える。当時は、被害者の属性といえば、障害者で施設に入所していることぐらいしか報道されなかったのである(*3)。「合流点」は、佐々木の思い出の残る家を会場として公開し、自身の描いた絵画や文章、家族にまつわる物、そして庭から構成されたものだった。だから、ここでおこなわれたのは、当時の報道のあり方に対する抵抗であり、被害者になり得たかもしれない家族の個別具体性を表象するということだったのである。

筆者撮影


授乳室の壁に描かれたドローイングは、この五味家の庭の植物である。そして、室内にある座布団やカーペットも、この家から持ち込まれた(*4)。筆者が授乳室に入った時、床に重ねて敷き詰められたカーペットやマットによって、柔らかい芝生や腐葉土の上を歩いているような感触があった。それは例えば、山道でどこかわからない場所に行き着いてしまったというような感覚を呼び起こすと同時に、私は不意に五味家の庭に迷い込んでいたのである。この家の歴史を遡れば、祖父母がここに暮らし始めた当時、庭にはほとんど何もない状態だったのだという(*5)。それぞれの植物は後から持ち込まれることになった。例えば、母親と兄がよくドライブに行く場所から拾ってきた種子が元になったものや、別の障害者家族から譲り受けたものもあるそうだ。庭にあるすべての植物は、この家族の歴史と共に歩んできた由来を持つのだ。つまり、ここに描かれている植物は、祖父母の代から現在に至る家族の歴史のアーカイブでもある。

だから、《授乳室のためのドローイング》でおこなわれていることは、家や家族というプライベートなものを、美術館の授乳室という場所に開いていくことであり、閉ざされてしまいがちだった障害者の家族を解放していく試みでもあるだろう。そしてそこで描かれるのは庭であり、その植物である。これまで障害者はそのほとんどが、個人に起因する障害を持つ者として、ケアされる対象として表象されてきたのではないだろうか。

ところで、授乳室という場所は特殊な性格を持つ。筆者がこの授乳室を初めて訪れた時、入り口には使用中の札が掛けられていたため、入室することができなかった。この授乳室は、パブリックな美術館の中にあるがプライベートな場でもあり、保護者が授乳やおむつ替えのために一時的に利用する、他の観客からは隔てられた空間でもある。すなわち開かれているが閉ざされてもいる中間的な場所だと言える。これは、普段は閉ざされているが、時折来客を招く家や家族の性質とも類似するだろう。このような性格からも、五味家を授乳室という場に重ね合わせることができる。

であるなら、この授乳室は五味家であり、ここで「合流点」が再演されているということになるのだろうか。ここに描かれているのは五味家の庭の植物であり、この家を会場として相模原障害者施設殺傷事件を扱った「合流点」が開催された。とはいえ、この授乳室を訪れる人は、「合流点」のように展示を鑑賞することが目的ではなく、授乳やおむつ替えのために利用する場合もあるのだから、オーディエンスの層はその趣を異にするだろう。佐々木は、「合流点」を例に、事件を扱う作品がそのトラウマをフラッシュバックさせる潜在性を持つことについて、このように言う。

本展では、相模川をモチーフにした作品と兄の肖像画を組み合わせて見せると、私のトラウマの再現になってしまいますが、具象画という古風な形式もあって、知らなければ何も思わず鑑賞できる。(中略)私は写真や映像など、再現性やスペクタクル性が強いメディアとは異なる記録媒体として、絵画の可能性を考えている面があります。(*6)

多くの人にとって、この授乳室のドローイングは、五味家や相模原であった事件との関係については「知らなければ何も思わず」見ることができる。植物が表象するその間接性やドローイングというメディア形式が、出来事の再現性を遮断し、あるいは迂回させるのだ。このドローイングを最もよく見通すことができるのは、それぞれの植物の来歴について知る五味家の家族であるだろう。とはいえ、これはこの作品が五味家の家族だけに向けられているということではない。

筆者撮影

ひるがえって、ドローイングが描かれている位置に目を向ければ、ナンテンはおむつ替え台がある真上の天井に描かれ、その他の植物は壁面には描かれているが、そのほとんどが天井に近い位置、そのすぐ下に描かれていることが分かる。これは乳児がおむつ替え台に寝ている時や、保護者に仰向けに抱きかかえられた時に、上方を見る視点と関わるだろう。

それだけではない。壁の装飾であるドローイングや座布団、カーペット、マットはモリスの言うレッサーなものたちである。モリスのいうレッサー・アーツ(小さな芸術)を、福尾匠は佐々木とのインタビュー(*7)の中で、片手間芸術と読み替えている。それを福尾は生活の傍らでなされるマイナーな芸術的実践と言うのだが、これは作り手だけでなく、その使い手(見る者)にも当てはまるだろう。保護者によって、授乳やおむつ替えの片手間でドローイングは見られ、座布団やカーペットは使われることになるのだから。

授乳室は、モリスに倣えば、レッサーなものたちによって、乳児やその保護者に真に開かれるのである。そして庭は初め、ほとんど何もない状態だったことは先に記したが、その植物は様々な経緯があり、後に外部から持ち込まれることになった。庭が外部を呼び込み受容するように、この授乳室は乳児や保護者だけでなく、半プライベートな場として多様な人々にもまた開かれている。

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*1 ウィリアム・モリス『小さな芸術(社会・芸術論集)』川端康雄訳、月曜社、2022年、11頁。()内は筆者が補足。この講演がなされた当時のタイトルは「デコラティブ・アーツ」であったが、後に「レッサー・アーツ」と改題された。

*2 「合流点」については次のサイトで詳しく知ることができる。「芸術も国家も福祉も私自身も、根本から狂っていると思いました」佐々木健インタビュー(聞き手:福尾匠)https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/sasaki-ken-interview-2022、最終アクセス 2023年10月1日。

*3 しかし、事件後しばらくして被害者の暮らしがどのようなものであったか詳しく報道されることになった。例えば次のウェブサイトなど。「19のいのち」https://www.nhk.or.jp/d-navi/19inochi/、最終アクセス 2023年10月1日。

*4 佐々木によると、後にカーペットや座布団は、五味家に戻す必要が生じ、美術館の学芸員の自宅から持ち寄られることになった。

*5 田中功起「4/25【ゲスト#1】絵画と加害/展覧会「合流点」について佐々木健さんに聞く回 #社会と抽象」https://shirasu.io/t/kktnk/c/sas/p/20220425、最終アクセス 2023年10月1日。

*6 佐々木健、飯山由貴「傍にある生を照らす、美術の向き合い方」『美術手帖 ケアの思想とアート』美術出版社、2022年、63頁。

*7 注2同インタビュー。

羽渕徹|はぶち・とおる
1982年生まれ、兵庫県豊岡市在住。かつて商業演劇で使われる舞台装置を製作する会社に勤務していたことがある。現在は特別支援学校講師。人が日常の中でするヘンな行動とその思考過程に関心を持つ。浄土複合ライティング・スクール二期生。


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