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クロスレビュー「京芸 transmit program 2022」(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA)

展示空間を散歩する(文:八坂百恵)

巨大な土塊が縦に長い部屋の真ん中に陣取って我々を迎えた。土塊の周辺には土がばらばらと散らばっており、作品の展示領域を広げている。我々は展示領域を侵犯しながら土を踏んで通る以外なく、するとカーペットに絡みついた土をさらに擦りつけることになる。ここで我々は、美術館でお行儀よく作品と対峙する態度から解放され、散歩をするように土塊の周りを歩き、作品を眺めることになる。この作品は野村由香《池のかめが顔をだして潜る》で、張り子の要領で成形した球体に、粘土や庭の土、枝が塗り込められていた。

展示風景

両壁には阪本結の絵画作品が展示されている。まずは集中して作品を見つめるのではなく歩きながら、風景を楽しんで散歩をするときのように眺めると、距離によって見え方が変わることに気づく。淡い色彩で描かれた短いストロークの集積で風景が構築されているので、一定の距離をとって眺めなければ、何の風景かが見えてこないのだ。距離をとって鑑賞すると、淡色の短い線が植物や民家として立ち現れ、風景画だったことがわかった、と言ってもいい。右側の壁の展示作品は20m幅で、この部屋では絵画全体を一度に把握することができないのだが、作品に沿って歩くと、近づいたり離れたりするたび、ストロークの集積が意味をもったり失ったりすることがよくわかる。

階段をあがったところにある小松千倫の展示空間には、ビーズクッションが会場をぐるりと囲む配置でぽつぽつと置かれているので、そのうちの一つに腰を下ろした。先ほどまでの歩き眺める鑑賞のモードを切り替えるべく、この空間で何が起こっているのかをじっと観察する。音楽と、時折サウンドの混じるテキストの朗読が交互に再生されている。テキストはいくつかに分かれていて、車に乗って三人で星を見に行くシーン、自転車に二人乗りしているシーン、なにかを追って歩いているシーンの順で構成された詩だ。照明は落とされており、LEDが埋め込まれた木材のオブジェが点在している。

LEDが点滅する規則性や、それぞれのオブジェのLEDは音楽と連動しているのかどうかを確かめようと、ビーズクッションから立ち上がり部屋の中を歩いてみて、気づいたことがある。全てのLEDを一度に見られないようにオブジェが配置されているのだ。これに気づくと、背景に流れている詩の朗読が移動にまつわるものであることも思い起こされる。この部屋でも、詩のシーンとオブジェの配置によって、移動しながら眺めることが促されていることがわかる。

今年のtransmit programで紹介された気鋭の作家たちに共通するものがあるとすれば、移ろいやすい現代において、地に根を張るようにしてそこに居るのではなく、視座をゆるやかに移し続けるという存在の態度ではないか。

八坂百恵|やさか・ももえ
同志社大学文学部美学芸術学科卒業。浄土複合ライティングスクール2期生。大学卒業後の約3年間、京都の独立系映画館に勤務。東京墨田区に22年9月オープン予定の映画館、Stranger立ち上げメンバー。


風景はこうでもある――阪本結《Landscapes》について(文:懶い)

どうぞここから見てください、という場所がない。うろうろしながら視線を彷徨わせることになる。絵というのはたしか、画面を決まった場所から見る人がいて、その人にとってちょうど正しく見えるように構成されていて、だから私もその絵の前で、間違いない場所に落ち着くことができるのではなかったか。写真というのはたしか、レンズという一点に集まってくる光をとらえたもので、だから写真を見る位置もまた、レンズの場所以外にありえないのではなかったか。どうもそういうわけにはいかないらしい。

ひとまず考えてみたいのは、フォトコラージュを元にして描かれた阪本結の連作絵画《Landscapes》についてである。そこで目に入ってくるイメージは一見抽象のようだ。しかし、それが数々の風景の集合であることはしばらくすると見えてくる。互いに異質ではないが、同じ場所ではない、そして昼とも夜ともつかない景色の組み合わせ。それぞれは概ね矩形をしていて、被写体やカメラの視点、仰角であるか俯角であるか、そして情報の密度の異なる各面の境界は、もじゃもじゃとした草木、および草木に倣うような勢いあるストロークによって継ぎ合わされている。

阪本結《Landscapes》、部分


道だとか川だとか、遠近法を感じさせるものがところどころ配置されていて、連作を構成する13枚のキャンバスの前を歩いていると、とりあえずその場に立ち止まって見たくなる。あるいは、キャンバスの下方中央にときどき描かれる大きな花の台や、何かを表象したのではなさそうな空白がある。一望しても近づいても目を引くそれらはやはり、異物感によって観者の動きをピン止めする。

しかしひとたびそういった場所に定位して全体を見渡そうとすると、すぐさま視線の流れは別の角度の別の風景によって打ち消されてしまう。そうして動いていくしかない。留まらせようとする力と、動かそうとする力。写真が瞬間を「切り取る」というのがクリシェであるにせよ、絵画のストロークは対照的に、否応なく持続を孕んでいる。写真による風景と絵画による風景の、いわば矛盾、緊張。だからじっとしていられない。

6年間かけて描き継がれた13枚の連作に背を向けると、比較的小さなキャンバスに描かれた1枚ごとの小作が展示されている。そこに見出されるのは、連作に使われた風景のリサイクルだ。同じ犬が、車が、植木が、ハート型の何かが、大作とは別のイメージへと接続され、別の一枚の絵を形作る。制作されたのは連作よりも後。つまり美術館で大作のそばに掛かっている習作とははっきり性質を異にする。

それが明るみに出すのは、「ああでもない、こうでもない」という画家の試行錯誤ではなく、「ああでもあり、こうでもある」ような風景の成り立ちである。風景は、絵画のようには完成しない。私たちはその前を行き来し続け、繰り返し別のありかたを見出すのだ。

懶い|ものうい
1995年生まれ。住宅街育ち都会暮らし。文学研究見習い。浄土複合ライティング・スクール四期生。


時計にはない時間(文:中島亮二)


幼い頃たまに見る夢があった。真っ白な空間のなかで隣り合うふたつの小さなもの(それらは野花であったり、黒い影であったりした)の片一方がみるみるうちに巨大化していく。両者の歴然とした力の差が恐ろしく、何より永遠に続くかと思えるほどの時間に耐えられなくなって、目が覚める。野村由香《池のかめが顔をだして潜る》を前にした時、その夢を思い出していた。

泥団子を巨大化させたような土色の球体に近づこうと会場に足を踏み入れると、床に残された土片や砂を引きずったような痕に思いがけず気をとられる。直径3mあまりにもなる巨大な作品の奥にはペール缶やトロ舟、スコップ等が雑然と置かれており、この痕跡は制作の過程で付着したものと推察される。実際に、会場で制作が開始された本作は、会期中にも少しずつ作家によって手が加えられていた。ようやく作品の間近に辿り着くと、泥に混じって木の枝や枯れ葉、麻紐が表面を這うのが見える。また、キレイな球体に見えていたそれは、所々に下地の新聞紙が顔を覗かせたり、骨格である木材が突き出した歪な形をしていた。球体の表面を泥で覆っていく過程で、会場中央まで転がされたこの巨大な泥の塊は、平滑な床との衝撃や自重で変形したが、そのずれは「修正」されたりはしない。

野村由香《池のかめが顔をだして潜る》、部分

作品が置かれた床面には剥離したと思しき乾いた白い砂が、円環をつくっていた。そして、まるでそれと呼応するかのようにまだ湿り気を残すであろう色の濃い泥が目線の高さあたりをぐるりと帯状に加えられていた。作品の周りをぐるぐると歩いてみていると、球体は一度にすべての表面を見ることができない立体であることに思い当たる。何をいまさらとも思う。しかし、ここに本作の大きさの必然性があるように思われる。人体のスケールでは本作の裏側にまわりこむには短くとも時間が必要である。

野村は制作にあたり「どのように生きる間の時間を過ごすか」と問う。そのような「生きる態度」には、ふたつの出来事が関わる。池に住む「かめ」と沈殿したでんぷんをもとに製造される保存食品「せんだんご」である。両者の特徴は、どちらも水の中に沈む時間をもつことにある。人間からは見えない時間、人間の時計にはない時間を過ごすのだ。

私たちの時間は均されてしまった。繋ぎ目は失われ、余暇でさえも常に何かに急かされるように生きている。あるいは将来が見え透いているという声もある。あたかも価値を測るためだけに存在するかのように、時間は可視化される。巨大な球体の裏側では今まさに乾燥や剥離が起きているかもしれない。あるいは明日の作品がどうなっているかは作家にもわからないのではないだろうか。

自分の体や時間の経過が伸び縮みし、現実離れした時空間を知覚させる「不思議の国のアリス症候群」と呼ばれる症状は、件の夢によく似ている。アリスは底へ底へと穴を転がり、数々の不思議を経験し、それらを物語る。作家が試みたのもまた、時計の均された時間から離れ深く沈み再浮上する、そうした時計にはない時間に沈み、別の繋ぎ目をつくりなおすことである。

中島亮二|なかしま りょうじ
1992年岐阜県生まれ。建築設計事務所に勤務ののち農家。浄土複合ライティング・スクール四期生。主な論文・論考に「新潟市市街地近郊農地における農小屋の様相」(トウキョウ建築コレクション2016 青井哲人賞)、「私たちが取りうるもうひとつのあいだ──表象のビニルハウス論試論」(新建築論考コンペティション2021佳作)。主な展示に「Architects of the Year 2017 越境プロジェクト展」(日本橋の家、2017)、「ことばの学校の放課後」(SCOOL、2022)。

京芸 transmit program 2022 小松千倫、阪本結、野村由香
会場:京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA
会期:2022年4月16日(土)–2022年6月26日(日)
https://gallery.kcua.ac.jp/archives/2022/8318/


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