見出し画像

いくつかの感想文

 日々いろいろ思うことがありつつも、なかなか整理してアウトプットする余裕がありません。今回は頑張って3つの感想文を書きました。

漫画『テロール教授の怪しい授業』

 テロ研究を専門とする大学教授が「テロリストになりそうな」ゼミ生を指導する話です。その論旨は「テロリストはあなたのような普通の人であって、テロ組織はあの手この手であなたを引き込もうとするので気を付けてね」というもの。(あまり明確な論旨を読み取れませんでしたが)
 テロについてぼんやりと怖いイメージを持っているだけの人にはこれを読んで勉強してねと言いたくなる本かもしれません。しかし、私は大いに不満でした。
 というのも、テロが悪であるということを概ね前提としていて、そこへの疑義があまりに少ないからです。テロを社会構造によって発生する問題だという捉え方もほとんど出ません。普通の個人でも組織に引き入れられると非常識なテロリストになってしまいます、みたいな論調なので、本質的なところでテロに理解を示さない作品だと感じました。正義と悪の線引きがテロと対テロになってしまうので、敵対勢力をテロリストと呼んで攻撃する行為を助長しかねません。
 本作がアメリカの対テロ戦争におけるビンラディン殺害を語るとき、それが国家による超法規的な武力行使(いわばテロ行為)であることを指摘しません。アメリカが中南米や中東において反米的な政府に抵抗する反体制派に武器供与などさまざまなテロ支援をしてきたこともスルーします。刑務所内でテロリストが育ってしまったことを「テロ支援」などと呼ぶ前に触れるべきことではないでしょうか。
 自分の間違いを認めない権力者ほど怖いものはないのに、テロール教授が自らの間違い認めるシーンは一度もなく作品が終わってしまいました。テロリストは間違っていて自分たちは間違っていないという本作の思想的な立場が表れた部分だと思います。

ゲーム『トロピコ6』(Nintendo Switch)

 本作はカリブ海の島国「トロピコ」の独裁者となって国作りと国家運営をするシミュレーションゲームです。ミッションの攻略がメインのゲームモードになるようですが、自由に国家運営するだけのサンドボックスモードでプレイしてみました。
 目標を「平和主義で共産主義者の楽園をつくる」と定めてゲームを開始しました。結果としては、植民地時代の対海賊を除いて軍事施設を一切稼働させず、全ての陣営(資本主義者、宗教信奉者、軍国主義者、etc.)から高い支持を得て、対外的にも全ての大国と友好関係を築き、国の財政も国民の幸福度も安定して、選挙での得票率は95%以上という状態が続き、人口が上限に達したためプレイ終了としました。ついでに原発も作りませんでした。
 私の政治能力が高すぎてぬるげーになってしまいましたが、いろいろおもしろい気づきがありました。外交でうまく立ち回れば軍隊は不要(ただし海賊対策は必要)だったこと。経済をうまく回して国民の幸福度を上げておけば一切の弾圧をする必要がなかったこと。
 現代(ゲーム内の時代で、冷戦終了後)になってすぐの時期に風力発電のタービンをせっせと建てていたのですが、ふと気が付くと失業者が増えていて少し焦りました。これはゲームの仕様において風力タービンが稼働時に労働者を必要としないからです。だから風力タービンを作っている間は新しい仕事が生まれないにもかかわらず移民の流入が順調で、結果として職にあぶれる人が続出したのでした。国の財政としては輸出で大きく黒字だし十分健全な状態だったと思うのですが、国が豊かでも職にあぶれた労働者は困窮するという資本主義社会の矛盾の一端を見た思いでした。
 難易度設定を上げてプレイ目標を考えて遊べばまだ楽しめそうですが、システム面に飽きてきたので終わりにしました。

記事『スペシャルインタビュー 羽生善治』(BIG ISSUE)

 BIG ISSUEに羽生さんのインタビューが載っていたので読んでみました。AIのことや自分自身の年齢的なことなど無難な話が中心ですが、連盟に関する部分について私は少しうがった読み方をしました。

「(……略……)日本の将棋は茶道や華道などと同じ家元制度の伝統芸能として受け継がれてきたという極めて特殊でユニークな歴史がある。家元制度の廃止後は、新聞社をはじめとする活字文化の広がりとともに発展して今の地位があるのですが、今後は将棋の教育的効果を強く打ち出して子どもたちの習い事として定着させたり、地域のお祭りなどと連携して地域活性化のお役に立てたらと思っています」

『THE BIG ISSUE』vol.462

 将棋文化において将棋連盟という組織はかなり難しい立場にあります。それは、他のスポーツ競技などを見たときにプロ団体が興行的に成功するのはごく一部のメジャースポーツのみという現実と合わせて考えるとわかります。
 あるゲームの「プロ」であることと「競技」での強さとは、本来的に異なるステータスです。フィギュアスケート競技の選手がプロに転向するケースや、プロレスとアマレスのことなどを思い出していただけばその意味がわかっていただけるかと思います。オリンピック選手の大半はプロではないわけです。
 将棋の場合、実際的に将棋の強い人がプロになっているので、興行的な側面と競技的な側面との摩擦が見えにくくなっています。それは喜ばしいことでもあるわけですが、こと団体運営となると状況は難しいようです。連盟はその組織を維持するために、将棋を「価値あるもの」としてアピールしなければいけないということです。
 競技としての将棋だけを考えれば、将棋プレイヤーに対して公正な競技の場を用意すればいいわけですが、興行として成立させるにはファンを獲得しなければいけません。そして興行だけで組織を維持できなければ、公益性という旗を掲げて公的な援助を受ける必要が出てくるわけです。こうして、将棋連盟の会長は「伝統芸能」だとか「将棋の教育的効果」だとかを語ることになるのでしょう。
 私は将棋のゲーム性を愛しているしプロ棋戦のファンでもありますが、将棋が伝統芸能や教育的コンテンツとして普及してほしいとは思っていないので、連盟の立場に対して複雑な思いを抱いています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?