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美味しいワインはきれいなぶどう畑から醸される(塩尻片丘産ワインの描く夢)

インタビュー相手 幸西ワイナリー 幸西義治さん

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丘の上 幸西ワイナリーのエチケット(ワインのラベル)には、
自社のぶどう畑が描かれている。

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「いいワインのぶどう畑は例外なく”きれい”なんですよ。でも、”きれい”なぶどう畑から必ずしもいいワインが出来るという訳ではないんですが(笑)」

大手精密機械メーカーを定年間近となる年齢で退職され、ぶどうの栽培から醸造までを手掛ける丘の上 幸西ワイナリーを立ち上げられた幸西義治さんにお話を伺った。

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ワイナリーがある長野県塩尻市は、「塩の道の尻」ということでその名がつき、かつては日本海側と太平洋側の「塩の道」の終着点であった。この土地では、1890年(明治23年)にブドウ栽培が、1897年(明治30年)にワインの醸造がはじまった。
1990年代後半には、この地で栽培・醸造されたメルロー種が世界的なコンクールで受賞したことで、世界的なワインの銘醸地としてその名が知られている。

丘の上 幸西ワイナリーは2019年(令和元年)に果実酒製造免許を取得した塩尻市16番目のワイナリーである。所在する塩尻市片丘地区では、幸西さんが進出する以前はぶどう畑はおろか果樹栽培もほとんど行われていなかった。しかし、ここ数年、大手ワイナリーのヴィンヤード(ぶどう畑)やワイナリーが進出している注目の地区となっている。

幸西さんは、ぶどう栽培の適地とは扱われてこなかった片丘地区で、最初にぶどう栽培を含めたワイナリーをはじめた理由をこう語る。

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「ただの”のんべえ”から塩尻市広報で公募されていた”塩尻市観光ワインガイド”という伝える立場になりました。その中で、塩尻ってただの松本にいく通過点になっていてワインとか立地(交通の要所)や温泉など、とてもいい素材を持っているのに、いまいち出し切れてないなってことを感じたんです。そこで、問題解決のお手伝いがなにか出来ないかなっていうのが、ワイナリーをはじめた理由ですね」

「片丘地区って北海道の十勝に似てて、(誤解を恐れずにいえば)栽培するぶどうの質よりも、眺望や観光面から自分がとても素敵だと思っているこの場所の魅力を、ぶどう栽培を含めたワイン造りを通じて伝えられればなと思ってはじめました」

街の観光ワインガイドになって(塩尻の)ワインと出会い、塩尻の魅力を発信するために塩尻ワイン大学や里親ワイナリー醸造研修を経て、ワイナリーをオープンさせた幸西さんらしい理由だと思った。同時に、肩の力が抜けていながらも、生活の中に捉えた社会課題を自分の生きがいと一緒に解決しようとする姿勢にとても感心した。

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しかし、還暦を迎えてぶどう栽培とワイン醸造の両方をやることは並大抵のことではない。どのように考えているのかお伺いした。

「大手さんですと色んなワインありますけど。私のようにちっちゃなところでは、ワインだけ、ぶどうだけでは特色が出ないと思いますね。自分でこだわったぶどうでこだわったワインを造ってますというのがないとウリ文句になりませんね。人のぶどうで造ったワインと愛着も違いますね」
※幸西ワイナリーでは、自社農場の規模から収量により一部、塩尻市内からの購入材料を使用されている場合もあります

「そして、ワイン造りは農業だと思いますね。ワインの質はぶどうで決まっていると思います。設備的に制限はあってやりたいことが全てできる訳ではないんだけど、例えば、収穫も半日くらいで終わるものを2日間かけて徹底的に選果しながらやってます。やっぱりそうやってこだわったぶどうで造ったワインはきれいですよね」

”きれい”なワイン。インタビュー中、たびたび出てくるこの言葉に私は幸西さんのぶどう栽培を含めたワイン愛を感じずにはいられなかった。

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私には聞いておきたいことがあった。それは、幸西さんの年齢と将来のことである。一般的に、ぶどうは木を充実させるために植え付け3年目以降から収穫し、年数を経過するほうが良いとされている。当然、それを知っていながらワインづくりに挑まれたはずだ。

「確かに、ワイン用ぶどうとしては、木が育ったほうが、果実感がしっかり凝縮されたものになると言われてますね。でも、ワインって面白くて、その土地、その年にとれたものに合わせて楽しめるんですよね。若いもの(樹齢が若いぶどうの木のワイン)が好きな方もいますし、毎年の変化を楽しむ方もいますし。ですから、必ずしもワイン(の一般的評価)として優れていなくても、楽しんでいただけるのがワインだと考えています」

「そして、体力はたしかに必要な仕事ですが、将来は、私みたいな物好きな人に引き渡せればいいなと。そして、私が90歳くらいになった時に、その人のワインを呑んで

『うーん、俺の(造ったワイン)より美味しくないじゃん。』

とか言えればいいなと(笑)」

実に軽やかなお答えだった。

今回、幸西さんへのインタビューにあたって、私はふたつの興味関心があった。ひとつは、私自身が新卒から二十年以上、大手化学メーカーに勤める会社員であり、同じような境遇から第二の人生といえる場所に飛び込んだ動機。もうひとつは、還暦を迎えた年齢でぶどう栽培を含めたワイン醸造に取り組む幸西さんがこの先に見ているものである。

インタビューを経て、考えすぎて出来ないことをよりも、やってみることの素晴らしさを強く感じた。

実は、インタビュアー失格かもしれないが、インタビューの前に幸西さんのワインを飲まなかった。それは、幸西さんがワインに込めたメッセージを読み取れるほど詳しくないのと、まずはワインのことよりもワイナリーを作った元会社員の幸西さんに興味があったからである。

そして、ようやく幸西ワイナリーのワインを片手に、目の前に広がるアルプスと眼下に広がる塩尻市街地を望む十勝を思わせるような抜群の眺望、手前に広がる手入れの行き届いたヨーロッパを思わせる垣根式ぶどう畑を思い出しながら、ひとつのことが分かった。

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美味しいワインは、きれいな想いによって醸される。

(取材・編集:明星宏典)

幸西ワイナリーの詳細はこちら

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