見出し画像

キンニャモニャと海士とキクラゲチャカポンの日々

隠岐の海士町に行きました。ここの但馬屋さんという島宿で、ちょっとした会食をしたのですが、こちらの女将が隠岐民謡を披露してくださります。

画像1

で、ここで初めて知ったのですが、海士町を代表する民謡に「キンニャモニャ」というのがあるのです。個人的にこれにはまってしまいました。両手にしゃもじをもって、結構コミカルな踊りをします。時にもも上げをして、ももの下でしゃもじを合わせます。ちょっとしたエクササイズです。結構、しんどいのではないかと思います。その囃子言葉は「キクラゲチャカポン」です。「キンニャモニャ」に「キクラゲチャカポン」。なんかもう、どうでもよくなりませんか。

画像3

そして、8月の第4土曜日には、盛大にキンニャモニャ祭が開催されるとか。チーム毎にユニフォームをつくってこの祭りに参加するとか。素敵過ぎます。「キクラゲチャカポン」、いったいなんだこれは。船で島に降り立つとそこにあるのは「島の駅 キンニャモニャセンター」。

画像4

その前の広場の真ん中には「キンニャモニャの像」(冒頭の写真)が燦然と輝きます。ホテルに入ると、キンニャモニャまんじゅうが部屋で待っています。

画像2

※「キンニャモニャ踊りを覚えよう」。この部屋、おそらく私たちが晩ご飯をいただいた場所です。前半、かなり解説があります。

筒井康隆の小説に「熊の木本線」という短編があり、そこに「熊の木節」という民謡が登場します。「なんじょれ熊の木 かんじょれ猪の木 ノッケ ノッタラカ ホッケ ホッタラカ トッケ トットットットットットッ」という意味不明な歌詞なのですが、これを思い出します。結構、最後は怖いお話ですが。キンニャモニャは、海士町菱浦の杉山松太郎氏が西南戦争に従軍した際に、熊本の民謡「キンニョムニョ」をうろ覚えに覚えて持ち帰ったのが起源という説があるそうです。

※「熊の木本線」はここで読めますね。全盛期の筒井康隆です。

お祭りの映像もありました。確か、島民が2000数百人だったと思うので、いったい何割が参加しているのでしょうか、これ。最後は花火なんですね。

画像5

バス停もしゃもじで、下にはキンニャモニャを踊る人が。町中にキンニャモニャが溢れています。

で、ネットでみつけたキンニャモニャの歌詞で、締めくくりましょう。

きよが機織りゃキンニャモニャ あぜ竹へだけ 殿に来いとのキンニャモニャ 招きだけ キクラゲチャカポン もてこいよ

世にも珍しキンニャモニャ 歌えや踊れ 苦労忘れてキンニャモニャ 酔うほどにキクラゲチャカポン もてこいよ 

人もうらやむキンニャモニャ 夫婦であれば 苦労するのもキンニャモニャ いとやせぬキクラゲチャカポン もてこいよ 

渾名(あだな)つけられキンニャモニャ 松太郎爺さんは 腹も立てずにキンニャモニャ 働き者よキクラゲチャカポンもてこいよ 

隠岐の港にキンニャモニャ 歌声すれば 老いも若きもキンニャモニャ 踊り出すキクラゲチャカポン もてこいよ 

花は二度咲くキンニャモニャ 若さは一度 若さ恋すりゃキンニャモニャ 色は来ぬキクラゲチャカポン もてこいよ 

嬉し目出度のキンニャモニャ 若松様は 枝も栄えてキンニャモニャ 葉も茂るキクラゲチャカポン もてこいよ 

丸い卵もキンニャモニャ 切りよで四角 物は言いよでキンニャモニャ 角が立つキクラゲチャカポン もてこいよ 

届け届けよキンニャモニャ 末まで届け 末は鶴亀キンニャモニャ 五葉の松キクラゲチャカポン もてこいよ  

青い松葉のキンニャモニャ 心底(しんてい)見やれ 枯れて落ちてもキンニャモニャ 二人連れキクラゲチャカポン もてこいよ 

嬉し目出度のキンニャモニャ 若松様よ 枝も栄えてキンニャモニャ 葉も茂るキクラゲチャカポン もてこいよ

今日はキンニャモニャとキクラゲチャカポンの話しかできませんでしたが、海士は美しく素敵な島でした。そして、アイターン者が350人も住んでいる島。さらには当該から多くの高校生を呼び寄せている島。そういう話も忘れないうちにいずれ書きます。だいぶ細かいことは忘れたけど。

画像6


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?